○…昨年の北京オリンピック(五輪)開催を前に、驚異的な記録を連発した英国社製の高速水着。「水着の話題が先行するのは心外だ。泳ぐのは選手だから」。日本競泳陣の五輪での採用の行方が注目を集めたころ、男子平泳ぎの世界記録保持者で五輪連覇を狙った北島康介選手(日本コカ・コーラ)は選手の気持ちを代弁した。あれから半年以上が経過し、同じような騒動の渦中に男子背泳ぎの入江陵介選手(19)=近畿大学=がいた。
○…ことし5月の日豪対抗。国産の新型水着を着用した入江選手は、200メートル背泳ぎで世界“最速”記録を樹立した。世界記録を1秒08も更新。前日の100メートルでは世界記録に0秒02差の世界歴代2位の記録をマークした。しかし、国際水連は入江選手の着用した新型水着を再審査の末、認可水着リストから外した。そして、快泳から1カ月以上たった6月22日、国際水連は入江選手の記録を世界記録とは公認しなかったと発表した。
○…国際水連が正式に記録未公認を発表した、という静岡新聞掲載の記事に入江選手の言葉はなく、近畿大学の田中穂徳監督の「(未公認は)予測できていた。最悪の結果を視野に入れて次に何をなすべきかをテーマにして本人も練習を積んでいる」という談話が載った。着用水着が認可されなかった当時、メーカーの謝罪会見を受け、入江選手の一問一答が紙面にあった。「悲しいのひと言。タイムを出しても、すべて水着の効果といわれる」。ちゃかすつもりは毛頭ないが、「裸で泳げるならどんなにか楽か、とさえ思うのでは」と同情もした。
○…国際水連は3月14日、水着の新規定と新たな世界記録公認の条件を導入した。だが、水着審査のためのメーカー提出期限は同月末と“拙速”だった。一方で、認可水着の発表までは1カ月半を要した。もちろん、日豪対抗をはじめ、この間も国際水連の公認大会は開催された。「振り回された選手 国際水連 手続きに不備」。6月23日付静岡新聞の関連記事に付いた見出しだ。記事は「精神的にもパフォーマンスに上でも尊厳を大きく傷つけられた」選手を思いやったが、国際水連とともにメーカーもまた同罪ではないかと憤りを感じた。
○…今回の新型水着は「空気をためる構造を作ってはいけない」という規定に抵触した、という。英国社製の高速水着は、賛否両論込めて「水着のドーピング」と呼ばれた。決して良い表現ではないが、水泳界に与えた衝撃の度合いを物語る。しかし、いかに新規定の導入から審査提出期限まで時間がなかったとしても、確信的な浮力の向上は「ドーピング」そのものではないかといったら言葉がすぎるだろうか。男子100メートル自由型46秒94のベルナール選手(フランス)の記録も世界新には公認されなかった。別メーカーではあったが、入江選手同様のラバー素材だった。
○…ベルナール選手が着用した米国社製水着のラバー素材は、日本の高機能素材メーカーの製品が採用された。素材の発掘、応用などメーカーの開発担当者の研究努力には頭が下がるばかりだ。しかし、今回の場合はすんなり納得はできない。入江選手が着用した国内メーカーは、認可された改良型の修正点を「通気性素材を各部に使用したり、小さな穴を複数開けた」と説明した。開発責任者の「水着の性能は落ちていない」の言葉を聞く限りは、なぜ3月の時点でできなかったのかと思う。「空気をためて浮力を上げる」効果は、真っ先に排除すべき点ではなかったのか。
○…6月のジャパンオープンを前に入江選手は、「日本で世界新を出せるチャンスをいただいた」と気丈に語ったが、5月には「泳ぐのが少し嫌になった」という。世界選手権(7-8月、ローマ)で改良型の公認水着を着用し実力の証明に挑む。気力、体力すべてが充実、一致して、初めて最高のパフォーマンスは披露できる。日豪対抗は新型水着でなくても世界新をマークしていたかもしれないし、今後、3月の“自己ベスト”を更新できなければ、好記録も水着のせいにされてしまうかもしれない。今回の騒動が何より罪深いのは、「記録」を水着から人間に取り戻す十字架を再び選手に背負わせてしまったことである。
(6/23 掛井 一也)