○…静岡県体操協会の創立50周年記念式典が静岡市で開かれ、カタール・ドーハアジア大会の体操男子種目別鉄棒で金メダルを獲得した水鳥寿思選手(徳洲会、静岡市出身)が駆けつけた。同じ日、浜松市では同大会陸上の女子走り幅跳びで金メダルに輝いた池田久美子選手と男子やり投げで2大会連続の銀メダリストとなった村上幸史選手のスズキ勢が帰国会見を行った。詰め掛けた報道陣の前で2年後の北京五輪に向けて飛躍を誓った2人に対し、水鳥選手は式典に続く懇親会の最後に初めてあいさつに立った。
○…式典では、日本体操協会副会長(北京五輪強化委員長)で2004年アテネ五輪体操総監督の塚原光男氏が記念講演した。「金メダルへの道」と題し、水鳥選手らが28年ぶりに団体総合で金メダルを獲得したアテネ五輪当時の逸話や、1976年モントリオール五輪で団体総合5連覇を大逆転で果たした塚原氏自身の思い出を紹介した。講演慣れした口調で会場の笑いも誘った約1時間。「勝って当たり前」といわれた黄金時代の「塚原流メンタル理論」に、水鳥選手の強さの秘密を重ね合わせて拝聴した。
○…塚原氏は言った。「選手というもの、練習で調子が悪いと『これで大丈夫だろうか』、調子が良ければ良いで『今からこれでいいんだろうか』と」。そして、続けた。「期待というプレッシャーに負けるのではなく、こたえようとしすぎて力が入るから失敗する」「自分の弱さを認めた瞬間こそが究極の開き直り」。水鳥選手はそれが分かっていたのだろう。銀メダルを獲得したアジア大会の個人総合は、最終種目の鉄棒を残し、チームメートの冨田選手と同点の3位。失敗すればメダルを逃す。「試合だということを忘れよう」。演技前の葛藤(かっとう)の中で意を決したという。
○…水鳥選手の座右の銘は、「練習が本番のように、本番は練習のように」。日体大時代の恩師、具志堅幸司氏の言葉だ。「試合だということを忘れて…」は、まさに「本番のような練習」があればこそ。「ミスの少ないオールラウンダー」の称号は何事にも動じない性格を想像させるが、アテネ五輪の代表決定以来、両親や兄弟から漏れ伝わる本人の葛藤は、決して波静かではなかった。冷静沈着というよりは飄々(ひょうひょう)としたといった方が正しいかもしれないが、何より負けず嫌いの努力家である。
○…種目別鉄棒の優勝を祝福しようと、母見香さんに筆者が電話を掛けた時のこと。優勝インタビューをテレビで見つめた見香さんは、個人総合の銀メダルに比べて笑顔が少ないのを気にしたという。国際電話の向こうで「個人総合の鉄棒は今までで一番いい出来だったから」と答えた息子に、「それでも金メダルが獲れたんだから、大したもんよ」と語り掛けた。つり輪のみの出場だったアテネ五輪団体総合の金、昨年の世界選手権個人総合の銀に劣らない「アジア・ナンバーワン」の価値を母はたたえた。
○…11月の全日本選手権に、寿思選手、一輝選手、豪敏選手の3兄弟が出場した。団体総合は寿思選手の徳洲会と、一輝、豪敏両選手の日体大が、史上初の同点優勝。個人総合も寿思選手が2位、一輝選手が3位となり、父一夫氏は「兄弟でアジア大会に出場すれば応援行ったんだが…」。10月の世界選手権は寿思選手の個人総合決勝進出を疑わず、決勝に合わせてポーランドまで出向いた。しかし、前回銀メダリストは予選で敗退。「観光旅行だった」と苦笑した一夫氏は、「ポーランドとドーハ、行き先を間違えたね」と再び苦笑いを浮かべた。
○…北京五輪をにらみ若いチームで臨んだ今回のアジア大会。「ベテラン」と称された水鳥選手だが、世界の舞台にはばたいて2年。「ヒサシ・ミズトリ」の名前は、まだまだ「新鋭」の部類だ。鉄棒に限らず常に高い価値点で臨む姿勢は、挑む姿勢を重んじる「国際採点仕様」である。懇親会を締めくくるあいさつの中で、「何をすべきかも分かった。来年は全種目で難易度を上げたい」と誓った。会場は県協会がアテネ五輪壮行会を開いた同じ場所だった。2年後の北京五輪壮行会は弟と臨み、ぜひ初の個人世界一に挑む決意を見せてほしい。
(12/19 掛井 一也)
「だんまく」とはスポーツ大会で目にする応援用「横断幕」の通称。時に温かい声援、時に檄文(げきぶん)の横断幕にならい、静岡県内スポーツ界の出来事を中心に、折に触れた話題を取り上げます。