○…何と声を掛けたら良いのか。今は慰めも激励も、ただ空しく聞こえるだろう。田中誠選手のサッカー・ワールドカップ(W杯)代表チーム離脱。2年前に28歳で代表デビューを果たし、ジーコジャパンとともに日の丸を背負ってきた。サッカー選手として夢の大舞台開幕を1週間後に控え、「こんなに早く帰って来て、ふがいない。残念の一言」。帰国を待ち構えた報道陣に囲まれ、針のムシロだっただろう。1日付静岡新聞夕刊、気丈に答える田中選手の写真を直視できなかった。1998年フランス大会、現地で最終登録から外れた三浦知良選手と市川大祐選手。前回日韓大会直前に病気離脱した高原選手-。県勢にまつわる「つらいドラマ」は、また繰り返されてしまった。
○…先月31日早朝、ドイツとの親善試合で高原選手2ゴールの喜びもつかの間、ラジオから流れた「田中選手、離脱」のニュースに耳を疑った。程なくして、ジュビロ磐田の担当記者時代に知己を得たサポーターから、携帯電話に相次いでメールが入った。ドイツ入りしている人もいた。「楽しみが半減してしまった」「やっと、やっとつかんだ栄光だったのに」「代表入りを一番心配したマコだからこそ、喜びも格別だったのに」「マコちゃんのユニホームを着て応援します」―。「号泣」の言葉で結ぶ人もいた。メールを開くたびに切なさは募り、帰路に就く田中選手の心中を思った。
○…国内最終調整となった福島・Jヴィレッジ合宿。左太もも裏の筋肉、いわゆるハムストリングを痛め、田中選手の別調整は続いた。合宿終了からドイツ出発までの1日。田中選手は寸暇を惜しむかのように、磐田の大久保グラウンドで練習に励んだ。関係者によると、調整というよりも、コンディションを上げるハードな内容だったという。「このままではW杯で試合に出場できないという焦りがあったのでは」。身の回り品の荷造り程度の短い“帰郷”。安静に過ごしていれば結果は違ったかもしれなかったが、スポーツの世界では禁句の「たら」「れば」の話である。
○…報道によれば、肉離れはドイツでの練習で痛め、福島合宿で不安を抱えていた部位とは微妙に違うという。離脱の報に接したチームメートは、大久保グラウンドで黙々と汗を流していた姿を思い、「やっぱり、やって(痛めて)しまったか」と残念がったという。「『100%戦えるメンバーを』という監督の意向だから仕方がない」。帰路に就く田中選手は語った。指揮官の意向は時に強制的であり、決戦を間近に控えれば、なおさら非情に徹せざるを得ない。1次リーグ最終戦のブラジル戦、決勝トーナメントには間に合ったかもしれない。しかし、指揮官の意向に「納得」した田中選手の「戦えるメンバーで臨んでほしい」というチーム愛、そして「勇気ある決断」に頭が下がる。
○…遅咲きでつかんだ代表の座が、最高の舞台となった巡り合わせに感謝していた。「持てる力を発揮できるよう、いい準備をして(出場の)チャンスをつかみたい」「選ばれなかった人の分も頑張りたい」。磐田市で行われた壮行会から2週間。ドイツに入って5日での帰国。その足で向かった磐田のクラブハウスで、「ただいま」「帰って来ちゃった」と苦笑したが、脱力や放心は明らかだったという。代表入りを控えて、「年齢的にも最後のW杯だと思っている」と語ったが、次回の南アフリカ大会は34歳。ディフェンダーにしてみれば、脂の乗った年齢である。失意の離脱とはいえ、W杯ドイツ大会代表に変わりはない。4年なんて、あっという間。「最後」うんぬんの前言撤回、2大会連続選出、そして初出場を目指そうよ。
(6/3 掛井 一也)
「だんまく」とはスポーツ大会で目にする応援用「横断幕」の通称。時に温かい声援、時に檄文(げきぶん)の横断幕にならい、静岡県内スポーツ界の出来事を中心に、折に触れた話題を取り上げます。