○…「波諧調(メロディー)を奏づれば琥珀とけゆく駿河湾」。静岡商高の校歌が第88回全国高校野球選手権静岡大会で、開幕戦から決勝まで7回、球場にこだました。32年ぶり11度目の優勝。119校の頂点に立ち、昭和50年春以来の甲子園、夏は昭和49年以来9度目の甲子園に名乗りを上げた。見城喜哉監督の言葉を借りずとも、「多くの方が待ちわびた」瞬間だった。
○…高校までを静岡市葵区三番町で過ごした。いわゆる番町地区から田町にかけた界わいは、静岡商高のおひざ元。伝統の木工業など家内工場の多い下町は、静岡商高の甲子園試合日ともなれば人通りが途絶えるほどだった。“路地裏野球”に興じる子供たちは皆、静岡商高の校歌が空で歌えた。それほどに、県大会や甲子園で校歌は何度も流れ、野球王国・静岡の古豪として全国に誇る「セイショー」があった。
○…昭和50年代の初めには、2年連続で対外試合禁止という不遇の時もあった。それでも白球を追い続けた当時のOBたちは、その後、取材で訪れた球場で顔を合わせる度に、「後輩が甲子園に行ってくれないと、自分たちの『戦後』は終わらない」と語った。夏は2度の全国準優勝、春は昭和27年に全国制覇。前回の夏甲子園は準々決勝で群馬・前橋工高に0-1で敗れた。夏の甲子園通算成績は16勝8敗。甲子園の初戦敗退は1度もない古豪の復活だ。
○…あどけない笑顔が印象的な2年生左腕の大野健介投手が、丁寧な投球で準決勝、決勝ともに3安打完封。主将の増井裕哉捕手は「大野におんぶにだっこ。甲子園ではもっと点をとって楽にしてあげたい」と語るが、好投には今春に内野手から転向した増井捕手の好リードもあった。それにこたえた制球力もさることながら、緩急や内外角への配球はすがすがしくさえあった。開幕戦で創部3年目の静岡大成を7-5で振り切り、3回戦の日大三島戦は3点を勝ち越された延長13回、逆転サヨナラを演じた。優勝して涙を流す選手たちを久しぶりに見た気がした。
○…敗れた浜名高の山内克之監督は「うちの打線を封じられたら、甲子園でも勝てる」と語ったという。3年前の春は浜名高を初の甲子園に導き、掛川西高監督時代も甲子園を経験している指揮官の言葉だ。準決勝までのチーム打率3割9分8厘を誇り、準決勝は21安打18得点の強力打線は、身長165センチの大野投手の前に沈黙した。豪腕でなければ、伝家の宝刀と呼べる決め球があるわけではない。ひょうひょうと、そして図太い。マウンドに集まる先輩たちの言葉に「ハイッ、ハイッ」と答え、増井捕手のミット目がけて投げ込んだ。
○…胸文字も帽子のマークも小ぶりな伝統のユニホ-ムに、新浦壽夫氏、藤波行雄氏、池谷公二郎氏、高橋三千丈氏、大石大二郎氏、久保寺雄二氏らプロでも活躍した先輩の当時の姿が重なった。これまで「最後の甲子園」だった昭和49年夏、50年春に大石氏と二遊間を組み、2大会とも8強の久保寺氏は、南海ホークス(当時)で活躍中の昭和60年1月、26歳の若さで急逝した。函南町の実家に帰省中だった。
○…2年前は静岡大会の決勝で涙をのんだ。天国から後輩の活躍を見守る久保寺氏、不遇の時代を過ごしたOBをはじめ、多くの関係者が甲子園に戻って行く母校を楽しみにしている。いや、OBならずとも、静岡県民の多くが待ちわび、祝福する夏となった。甲子園大会の開幕は8月6日。幼少期に寄せた「静商のお兄さんたち」への期待を思い出し、ワクワクしている。
(7/31 掛井 一也)
「だんまく」とはスポーツ大会で目にする応援用「横断幕」の通称。時に温かい声援、時に檄文(げきぶん)の横断幕にならい、静岡県内スポーツ界の出来事を中心に、折に触れた話題を取り上げます。