○…森千夏さんの“最終投てき”は、ついに永遠の弧を描いた。女子陸上砲丸投げの日本記録保持者でアテネ五輪代表、享年26歳。大型新人としてスズキに入社以来、発症までの3年間、「陸上王国静岡」の復権をけん引し続けた。治療法が確立されていない虫垂がんだったが、この日が来るとはにわかに信じがたかった。
○…現役復帰を信じ、抗がん剤投与でなく、高額の免疫治療を選択した。母校の東京高校や国士舘大、アテネ五輪陸上男子400メートル障害代表の為末大選手を中心に支援の輪は全国に広がっていた。「まだまだ私はこれからなので全国のみなさん今後ともよろしくお願いします」。東京高校のホームページに、森さんのメッセージが届いたのは、亡くなる1カ月前のこと。
○…重さ4キロの鉄球をこん身の気合で18メートル以上も投げた彼女が、力の入らない手で精一杯に筆を執った。文末のサインには2004年の静岡県西部選手権で樹立した日本記録18メートル22の数字も添えられていた。闘病経過の公開当初から今に至るまで、ホームページには病床でたこ焼きをほおばる森さんの笑顔が掲載されている。
○…やせたというより、すっきりした姿は、回復すら思わせた。その満面の笑みを見て、同校の恩師小林隆夫氏に電話を入れたのは4月。「ぜひ森さんの元気な声を聞き、本欄読者に頑張っている様子を伝えたい」。ちょうど一時退院も知り、今すぐにでも屈託のない「森ちゃん節」が聞けると思わせた。しかし、「無理」な相談だった。
○…完全看護が施されない自宅療養。森さんは精神的に不安定となり、再び一時入院に転じていた。「北京五輪は無理ですが、ロンドン五輪を目指した復帰を信じている」という小林氏の言葉に、「負けん気の強い彼女のこと、病魔を永遠の彼方に投げ飛ばしてくれるはずですよ」と期待して電話を切った。
○…「北京五輪では2人でメダルをとる約束をしたよね。それができない分、私が絶対に北京でメダルをとるよう頑張る」。スズキ同期入社で女子走り幅跳び日本記録保持者の池田久美子選手は、森さんの告別式で涙ながらに弔辞を読んだ。池田選手は森さん退社の1カ月後、5年ぶりの自己記録更新となる日本新を跳んだ。病床で戦う森さんへのエールであり、森さんの気持ちが背中を押したに違いなかった。
○…古代オリンピック発祥の地、ギリシャ・オリンピアで行われた五輪砲丸投げ。森さんは日本勢として東京五輪以来、同種目40年ぶりの五輪出場を果たした。その勇姿は永遠の記憶に刻まれた。アスリート代表として支援の先頭に立った為末選手は、訃報に接して言ったという。「自分がしていることが本当にいいのかどうか悩みもした」。かえって本人の不安をかき立てるのではないかという自問自答だった。
○…為末選手は言葉を続けている。「仲間意識が薄い陸上界が森さんの支援で一つになった」。競技ウエアを身につけ、多くの激励の手紙とともに旅立った森さんは、告別式で1500人に見送られた。既に発症の兆しを見せていた聖地での投てきは、16メートルにも届かず予選落ち。雪辱を誓っていた北京五輪は2年後。彼女の遺志を継ぐ北京での「チーム・ジャパン」は「チーム・森千夏」でもある。
(8/15 掛井 一也)
「だんまく」とはスポーツ大会で目にする応援用「横断幕」の通称。時に温かい声援、時に檄文(げきぶん)の横断幕にならい、静岡県内スポーツ界の出来事を中心に、折に触れた話題を取り上げます。