○…もっともっと球児の夏を堪能していたい、そんな気分にさせる甲子園大会だった。37年ぶりの決勝引き分け再試合もさることながら、好勝負、名勝負の多い大会だった。静岡県民にとっては、静岡商32年ぶりの夏甲子園もあった。「木製バット時代」を思わせる1試合9犠打の大会タイ記録で快勝した初戦。かつて全国強豪に君臨した「静商野球」を重ね合わせ、古豪復活に期待を高めた県民はOB以外にも多かったはずだ。2回戦で敗れたとはいえ、9度目の出場で「初戦負けなし」を継承し、あらためて伝統校の底力も痛感させてくれた。
○…静岡商が甲子園を去った後も、「久しぶりに高校野球にくぎ付けになった」と話す知人は多かった。3回戦「今治西-日大山形」の延長12回逆転、再逆転サヨナラに驚き、「駒大苫小牧-青森山田」の逆転サヨナラにしびれたのもつかの間、続く準々決勝は「帝京-智弁和歌山」9回の8得点逆転と5得点再逆転サヨナラをはじめ、終盤逆転の2試合に延長戦1試合と、4試合とも目の離せない攻防が連続した。
○…桑田、清原両選手の超高校級を擁したPL学園準優勝の第66回大会(1984年)で記録された大会通算本塁打数47本を一気に更新した今大会。中飛かと思った打球がバックスクリーンに吸い込まれ、当てた打球が逆風をついて右翼スタンドに飛び込む。ラッキーゾーンがあった当時の記録に第11日で並び、第12日の準々決勝2試合8本塁打で50本の大台にまで突入し、最終的には60本まで記録は伸びた。
○…あまりにもあっけなくスタンドまで届く飛球に、「甲子園上空の空気が薄いんじゃないか」「いつの間に飛ぶボール、飛ぶバットが採用された?」と冗談も口にしたくなった。解説者の「ここで1発が出れば…」の常とう句も、真実味を帯びるほどだった。しかし、終盤までもつれる好ゲームの連続には、「パワー野球」「打高投低」にありがちな派手さや大味さはまったく感じなかった。
○…白熱大会の最後を飾った決勝戦。戦前1931-33年の中京商以来73年ぶりの3連覇に挑んだ駒大苫小牧の話題性や、ワイドショー的な表現を借りれば「クールで上品なアイドル」早実・斎藤投手の人気もあったが、超満員の決勝戦は久しぶりに見た気がした。それが再試合の「おまけ付き」ともなり、まさに記憶に残る大会にふさわしい締めくくりとなった。
○…中京商3連覇当時の甲子園出場校は、外地の中等学校も含めて、わずか22校。以来の偉業に王手をかけていた駒大苫小牧に土をつけた早実は、1931年大会1回戦で中京商に3-4で敗れ、同校3連覇への道を開いたのも歴史の巡り合わせか。「6球勝負」1度きりの打席で満場の観衆を沸かせた準決勝、斎藤投手と鹿児島工の代打今吉晃選手の対決も脳裏を離れず、いろいろな意味で球史に残る大会となったことは間違いない。
○…一方で、高校生の決め球がスライダーになって久しい。ひじに負担の大きい球種だけに、成長期の10代にこれほどの多投を許して良いものかとも思う。まして、大会終盤の連投を考えれば、高野連が厳しく求める「『高校生らしさ』は運営側のどこに?」と疑問も感じてしまう。真剣勝負を繰り広げた斎藤、田中両投手には、そんな場外論議も別次元だろう。球児は与えられた舞台で、疑いなく全力をそそぐ。だからこそ美しい半面、周囲の大人が配慮すべき課題が多いことも再認識した大会だった。
(8/21 掛井 一也)
「だんまく」とはスポーツ大会で目にする応援用「横断幕」の通称。時に温かい声援、時に檄文(げきぶん)の横断幕にならい、静岡県内スポーツ界の出来事を中心に、折に触れた話題を取り上げます。