○…「子どものようなプレーをしていた」。サッカーのアジア・カップ予選でサウジアラビアとのアウエー戦に敗れた日本代表オシム監督の言葉だ。「恥ずかしい」と続けた真意は、想定の内か外か。羽ばたきの練習を繰り返す「学習期」だとしても、彼らは日本サッカー史に「代表」として名を残した。その事実は消えない。ただ、失礼を承知で言わせてもらえば、「子どものような選手を招集したのだから」と納得もし、冷静でいられる。
○…オシム監督が招集する代表は、かなりのファンでなければ「誰?」という若手が多い。今大会の中東遠征メンバー24人のうち、ワールドカップ(W杯)ドイツ大会代表の7人も、川口能活選手や三都主選手を除けば、当時は“サブ組”。今大会の代表背番号は、ジーコ前監督に選出されながら、オシム監督に呼ばれていない選手も含め、「70番台」にまで達した。
○…言うまでもなく代表チームは、国の頂点に君臨する精鋭スター集団である。だが、今のところのオシム・ジャパンに「清新さ」こそ感じられても、トップ集団としての「重み」は感じられない。スポーツ紙が「寝る間もオシム」と表現した深夜サウジ到着後の練習などを見ても、国際Aマッチという実戦を組み入れた「代表候補合宿」のような印象は、首脳陣も織り込み済みではないかと思えてしまう。
○…ワールドカップ(W杯)日韓大会ベスト16。列島の興奮を演出したメディアは、ジーコ・ジャパンのW杯躍進は当然とばかりに、過度の期待を掛けた。4年後のドイツ大会で待ち受けた現実は、1勝もできない予選リーグ敗退。首脳陣や日本協会の責任論もあるだろうが、メディアも含めた「リセット」を考えれば、オシム監督の「スター選手依存否定論」は正しい。
○…今や広く知られるところの「考えて走る」オシム・イズム。想像力と体力を併せ持つ“戦術”の体得は、代表経験の浅い多くの選手にとって、65歳のイビチャ・オシムその人への「すり込み」が不可欠なのかもしれない。だとしたら、とうに巣立ちを済ませた小野伸二選手や中村俊輔選手ら“ポスト中田ヒデ”を担うべき選手が、オシム・ジャパンに呼ばれる日はいつか。いや、あるのか、とさえ思えてしまう。
○…かつて常勝の名を欲しいままにしたジュビロ磐田は、選手間のあうんの呼吸と、誰が出ても変わらないパフォーマンスの高さが強さの秘けつだった。そこには「成鳥」に育った選手が、確固たる集団としていた。「成鳥」の衰えは自然の摂理であり、磐田が苦悩する「世代交代」は想定の範囲内であった。ただ、クラブチームと代表チームは違う。代表は今回のように「完全リセット」も可能なのだ。
○…確かにオシム・ジャパンの最終目標は、2010年のW杯南アフリカ大会だろう。しかし、その過程であっても、代表は常に国内最高峰のチームでなければならない。だとしたら、「子どものよう」なチームを最高峰に抱く日本サッカーの現実を受け止めることが、われわれの側にも必要になる。「アジア最強」「W杯予選リーグ突破」などという言葉の安易さは、ドイツ大会における各国のパフォーマンスが痛いほど教えてくれた。オシム・ジャパン当初の目的が、その再確認にあるのではないかとまで思うのは、自虐的にすぎるだろうか。
(9/5 掛井 一也)
「だんまく」とはスポーツ大会で目にする応援用「横断幕」の通称。時に温かい声援、時に檄文(げきぶん)の横断幕にならい、静岡県内スポーツ界の出来事を中心に、折に触れた話題を取り上げます。