○…Jリーグ監督条件でもある日本サッカー協会の最上級指導者資格、S級ライセンスの今年度合格者が発表された。通信社が報道機関に原稿配信を事前案内した「車いすの合格者」は、やはり羽中田昌氏(42)のことだった。同年代にとって、山梨・韮崎高サッカー部の代名詞といえば、羽中田氏と保坂孝氏=現ヴァンフォーレ甲府コーチ、同ユース監督=だ。同校に中田英寿氏が入学する10年以上前の話である。
○…全国選手権に2年連続準優勝。その甘いマスクと小柄ながらも超高校級の実力を持つストライカー羽中田氏の登場は、「高校サッカーといえば静岡」を自負していた私にとって、注目すべき選手である以上に、小憎らしくもあった。「ハチュウダ」という語感とともに、まさに記憶に残る“隣県”の選手だった。
○…羽中田氏は大学浪人中、同級会参加の帰省中に交通事故に遭い、脊髄(せきずい)を損傷した。下半身不随になったと知ったのは、かなり後のことだった。久しぶりに彼の姿を目にしたのは、たまたまつけたテレビのドキュメンタリー番組だった。9年間勤めた山梨県庁を依願退職し、スペイン・バルセロナに5年間のコーチ修行へ出向いている姿を追っていた。
○…現在は東京・暁星高校でコーチを務める羽中田氏。サッカーの世界に戻ろうとしたきっかけは1993年、Jリーグ開幕戦の観戦だったという。かつて一緒にグラウンドに立っていた仲間が華やかなカクテル光線の中にいた。仲間と自分に対する悔しさ。「自分の戻るべき場所は、やはりサッカーだと確信した」。ややふっくらした顔で、そのようなことを番組の中で語っていたと記憶する。
○…“S級同期”となった元日本代表でジュビロ磐田ユースの吉田光範コーチが、ライセンス合宿中の羽中田氏にまつわる話を聞かせてくれた。「監督実践」の講義中は仲間に車いすを押してもらっていたが、試験に介助はない。羽中田氏は頭の横にスピーカーを着けて現れ、マイクを通した指示が選手役の受講生に届いた。車椅子という移動のハンディを克服するため、恐らく自分で工夫したのだったろう。「頭が下がる思いだった」と吉田氏は振り返る。
○…柳下正明監督(現コンサドーレ札幌監督)時代の磐田でトップチームのヘッドコーチを務めた吉田氏でさえ、「サッカーに対する自分のコンセプトのようなものをあらためて考えた」というS級取得への道。「一国一城の主」を養成する合宿で、夜は羽中田氏と酒をくみ交わし、たわいもない雑談で「同じ釜の飯を食う」仲間意識も醸成した。「今はコーチの身だが、いずれはチームを持って監督をやりたい」と言っていたのが印象的だったという。
○…自分の体を使って手本を示してみたい時も来るだろう。だが、指揮官は自らの理論に基づき、目指す方向を示せばいい。実践・実技にはコーチがいる。近い将来「羽中田監督」は、どんな舞台でまず登場するのだろう。「バリアフリー」や「共生」といった言葉でなく、車いすの監督が「普通」になる日はここから始まる。J開幕から13年。ハンディをアドバンテージに代え、“Jリーグデビュー”を待ちたい。
(9/20 掛井 一也)
「だんまく」とはスポーツ大会で目にする応援用「横断幕」の通称。時に温かい声援、時に檄文(げきぶん)の横断幕にならい、静岡県内スポーツ界の出来事を中心に、折に触れた話題を取り上げます。