○…来春の桜の便りが聞かれ始めるころ、静岡県勢が久しぶりでセンバツ甲子園の土を踏む。高校野球の秋季東海大会で常葉菊川が優勝を飾り、3年前の同校以来となる県勢のセンバツ出場が確実となった。県勢の優勝は10年前の浜松工までさかのぼる。そのセンバツ大会は、筆者が初めて担当した甲子園取材だった。まさに「ひと昔」を痛感させられる吉報だった。
○…常葉菊川は西部地区大会準決勝で浜松工に1点差で競り負け、3位決定戦で磐田西を1点差で退けての県大会出場だった。県大会は準決勝まで4試合を38得点8失点で大勝したが、常葉橘との兄弟校対決となった決勝は1点差で制した。打ち負かし、そして競り勝つ。投打どちらか一方に偏らない見事な県大会制覇だった。
○…それでも、東海大会優勝は、取材した静岡新聞記者にとっても、「あれよあれよ」の出来事だったようだ。東邦(愛知2位)、大垣日大(岐阜1位)、中京(岐阜2位)をいずれも大差で連破した。相馬巧亮主将は「チーム改革」を勝因に挙げたという。「私生活を変えること」。遅刻はしない、練習グラウンドには早く出る-。球児以前の原点に立ち戻った結果が、本来高かった潜在能力を開花させたといえる。
○…常葉菊川は新チームを編成した秋季大会から、名将・磯部修三氏が総監督に退き、浜松商で磯部監督から主将として薫陶を受けた森下知幸氏が副部長から監督に就任した。1978年の浜松商センバツ優勝時の師弟コンビは、新体制3カ月で一気に東海の頂点を極めた。両氏の指導力はもちろんだが、「臨む姿勢」に厳しい往年の浜商イズムが息づいている。
○…10年前の浜松工といえば、「うちにバントというサインはない」と語った内山秀利監督(現浜松商部長)が率い、本格右腕の伊藤幸広投手(専大-ヤマハ)と強力打線を擁した東海屈指の強豪だった。機動力野球でセンバツ優勝に輝いた浜松商とは対照的に、「10点取られたら11点とればいい」という豪快さが売りだった。長髪でほん放に振る舞うナイン。見て楽しい新時代の高校野球が筆者の甲子園“原体験”だった。
○…地元浜松球場で行われた東海大会で初優勝した浜松工は、センバツ1回戦で前橋商(群馬)に完封勝ち。8強をかけた2回戦は優勝した天理(奈良)に敗れはしたが、出場投手で地区大会最多奪三振を誇った伊藤投手らの存在は「野球王国・静岡」の復活を全国に予感させた。事実、同年夏、翌年春の3大会連続で甲子園に駒を進め、優勝候補と目された報徳学園(兵庫)を破るなど注目された。
○…前回の浜松工が筆者の記憶に鮮明なのは、県内無敵を誇った実力だけはない。センバツ大会は1回戦、2回戦とも雨天で試合がずれ込んだ。甲子園球場で順延決定を聞かされたナインが、早咲きの桜を眺めて「早く試合がしたい」と苦笑した姿は忘れられない。「この木にセミが鳴いている時もここにいたい」とも語り、その言葉を現実にした。そぼ濡れた桜の色ほどに鮮やかな思い出だ。
○…3年前の常葉菊川は東海大会準決勝で、優勝した愛工大名電(愛知)に完敗した。しかし、全国の秋季優勝校が覇を競った明治神宮大会で、愛工大名電が優勝して東海枠が1つ増え、あきらめかけていたセンバツ切符を手にした。今回は文句なく“自力”で出場を確実にしたセンバツ大会。取材に赴く後輩記者、そして何より常葉菊川ナインがどんな思い出をつくるのか、今から楽しみだ。
(11/9 掛井 一也)
「だんまく」とはスポーツ大会で目にする応援用「横断幕」の通称。時に温かい声援、時に檄文(げきぶん)の横断幕にならい、静岡県内スポーツ界の出来事を中心に、折に触れた話題を取り上げます。