○…2002年7月21日、夏の高校野球県大会2回戦。富士宮東の菊地正法投手は常葉橘に1-6で敗れ、1年秋からエースナンバーを背負った高校野球生活を終えた。失策が絡んだ失点にも自分を責め、涙は見せずに「これからも野球を続けていきたい」。翌日の静岡新聞に掲載された記事は、「夢であるプロ入りを目指し、菊地の野球人生は続く」という当時の担当記者の言葉で締めくくられている。
○…4年後の11月、くしくも同じ21日。社会人と大学生を対象にしたプロ野球のドラフト会議で、22歳になった菊地投手=東邦ガス(名古屋市)=は、中日ドラゴンズから4巡目指名を受けた。今年で創立100周年を迎えた富士宮東高、そして東邦ガス、ともに初のドラフト指名。富士原田小の卒業文集に記した「あこがれのプロ入り」に、静岡新聞を飾った笑顔は、はにかみながらも、喜びと期待にあふれていた。
○…高校2年で同校初の夏8強進出をけん引した。4回戦で御殿場西3年の小野亨投手(現東芝、千葉ロッテ・小野晋吾投手の弟)との県内屈指の左腕対決も制した。準々決勝で東海大翔洋に敗れたが、先発ナインのうち6人が2年生のチームの飛躍に期待は高まった。しかし、秋と春は県大会進出こそ果たしたが初戦で敗退し、3年の夏は2回戦で敗れた。静岡新聞の見出しは「好投手、菊地早くも敗退」だった。
○…進路に選んだ社会人野球の三菱自動車岡崎は2004年シーズン途中、リコール騒動の余波を受け、活動を停止(05年に再開)。菊地選手は東邦ガスに活躍の場を求め、昨夏の都市対抗野球はトヨタ自動車の補強選手で出場。ドラフト前日は東邦ガスのエースとして、初出場を果たした日本選手権1回戦で先発マウンドも踏んだ。追撃及ばずNTT北海道に敗れたが、一夜明けての吉報はいかばかりだったろうか。
○…男女共学化で富士宮東高に野球部が誕生した92年当時、筆者の任地は富士宮だった。富士高、富士宮西高で長く監督を務め、甲子園にも導いた三村喜代志氏が教頭に赴任。新調されたユニホームのそでには、「静岡」の文字が縫い込まれた。「1年生チームながら県を代表する強豪になろうという大きな志を植え付けてますね」との筆者の問いに、三村氏が「いや、山梨に近いから向こうでの練習試合もあるだろうと思って」と冗談めかしたのも懐かしい思い出だ。
○…菊地投手の活躍は、それから10年後。02年当時のスクラップをひも解くと、創部3年目の磐田北高3回戦進出や同4年目の下田南高南伊豆分校4回戦進出、静清勢28年ぶり4強独占など、思わず読み返してしまう記事も多い。今年のドラフトは島田商の仁藤拓馬投手もオリックスの指名を受けた。昨年の社会人3選手に続く県勢プロ野球選手の誕生。母校の監督やチームメートはもとより、同時代に白球を追った県内全高校球児にも、“仲間”のドラフト指名は誇りであり、喜びに違いない。頑張ってほしい。
(11/22 掛井 一也)
「だんまく」とはスポーツ大会で目にする応援用「横断幕」の通称。時に温かい声援、時に檄文(げきぶん)の横断幕にならい、静岡県内スポーツ界の出来事を中心に、折に触れた話題を取り上げます。