○…静岡・エコパスタジアムで行われたサッカーの天皇杯準決勝。ともに初の元日決勝進出を狙ったJ1G大阪とJ2札幌の一戦は、G大阪が2-1で札幌の追い上げを振り切った。G大阪の宮本恒靖主将は来季のオーストリア・リーグ移籍が決まり、札幌の柳下正明監督(浜松市出身)は天皇杯限りで退任する。両チームそれぞれに主将と監督の「ラストゲームは決勝の舞台、国立で」を合言葉にした戦いだった。
○…J1の3チームを撃破し、J2勢で唯一4強にまで駒を進めた札幌。「柳下監督と元日国立へ」の合言葉に、3年前のジュビロ磐田を思い出した。磐田の監督就任1年目の03年12月2日、柳下監督はチーム強化をめぐるフロントとの意見対立で辞意を固めた。コーチ時代から薫陶を受けたイレブンにとっても寝耳に水の出来事であり、辞意報道翌日の練習後、チームキャプテンの中山雅史選手とゲームキャプテンの服部年宏選手が人目をはばからず慰留に努めるほどだった。
○…前年はヘッドコーチとして磐田のリーグ史上初となる完全制覇を支え、監督1年目も第1ステージは勝ち点1差の2位、最終節の試合終了まで優勝の行方が二転三転した第2ステージは首位と同勝ち点の得失点差3位。両ステージとも最後の最後で優勝こそ逃したが、通年成績は完全制覇の横浜Mと勝ち点差1。“常勝期”を担った指揮官の辞任は衝撃を持って受け止められた一方で、天皇杯準々決勝を控えたイレブンは「前身のヤマハ発動機以来21年ぶり、磐田として初の天皇杯制覇」を監督の花道にしようと、モチベーションを上げた。
○…準々決勝で東京ヴェルディを下し、清水エスパルスとの準決勝ダービーも制した磐田は、柳下監督44回目の誕生日である元日決戦でC大阪を1-0で退けた。試合終了と同時にイレブンは監督の下へ真っ先に駆け付け、天皇杯授与後は胴上げで感謝した。天皇杯優勝を置き土産に札幌の監督に転身し、3年間にわたって目指したJ1昇格はかなわなかった。就任当初は磐田とのレベルや意識の違いに戸惑いもし、最下位に終わった初年は不甲斐ない試合内容に、サポーター席まで自ら頭を下げに向かうこともあった。
○…磐田時代から知られた「熱血漢」に率いられたチームは、2年連続のリーグ6位に終わったが、最後の大会で初のベスト4進出を果たした。新人の磐田時代から柳下監督に指導を受けた加賀健一選手が攻撃的な右サイドのMFとして、99年まで清水に3年間在籍した西沢淳二選手は3バックの右でキャプテンマークを付け、史上初のJ2勢決勝進出の夢をフル出場で追った。1000人を超えるサポーターも遠路駆け付けた。
○…04年元日、天皇杯優勝という大きな誕生日プレゼントを受け取り、柳下監督は「新天地では(現役を過ごした)ヤマハ発動機、ジュビロの経験を忘れずに1から始めたい」と語った。そして、アクションサッカーの種をまいた新天地でのラストゲームを振り返り、「今日までサッカーができたことを選手に感謝したい。選手は最後まで札幌のサッカーをやろうとしてくれた」と語り、トップ下を務めた砂川誠選手は「この姿勢でやれば来季はJ1が見えてくる」と話した。北の大地に柳下監督が植え付けた「自信」は、何ものにも変え難い置き土産だ。
(12/29 掛井 一也)
「だんまく」とはスポーツ大会で目にする応援用「横断幕」の通称。時に温かい声援、時に檄文(げきぶん)の横断幕にならい、静岡県内スポーツ界の出来事を中心に、折に触れた話題を取り上げます。