○…元Jリーグ1部(J1)清水エスパルス沢登正朗氏の「引退試合」。ユニホームを脱いで1年あまりが経過したせいか、日本平スタジアムを埋めた17383人の観客に感傷的な雰囲気はなかった。2005年シ-ズン最終戦後の引退セレモニーは惜別の涙に彩られたが、今回の「ジャパンオールスターズ」と「エスパルスオールスターズ」によるメモリアルマッチは、あらたな門出を祝う祭典であり、沢登氏の人柄とJリーグ同窓会のような世代の結束を実感したイベントでもあった。試合後の共同インタビューを終えたカズこと三浦知良選手(横浜FC)は車に乗り込む間際、「この世代には日本のサッカーを引っ張ってきたという思いがあるからね」とつぶやいた。
○…93年10月、カタールのドーハで行われたワールドカップ(W杯)アメリカ大会アジア最終予選最終戦のイラク戦。後半ロスタイム、日本はイラクに同点ゴールを許し、悲願のW杯初出場を目前で逃した。いわゆる「ドーハの悲劇」を経験した沢登氏ら日本代表22人のうち、「ジャパンオールスターズ」には、ラモス瑠偉氏(東京ヴェルディ監督)、柱谷哲二氏(東京ヴェルディコーチ)、長谷川健太氏(清水エスパルス監督)、三浦知選手、中山雅史選手(ジュビロ磐田)、都並敏史氏(セレッソ大阪監督)、北沢豪氏(日本サッカー協会国際委員)ら11人が集った。
○…98年のフランス大会でW杯初出場を果たした日本代表からも、一身上の都合で欠場した名波浩選手、服部年宏選手(ともに東京ヴェルディ)を除いて5人。「エスパルスオールスターズ」も、長谷川氏、大榎克己氏(早大監督)、堀池巧氏(解説者)の「清水三羽ガラス」をはじめ、シジマール氏、内藤直樹氏、向島建氏、三渡洲アデミール氏、安藤正裕氏、永井秀樹選手ら懐かしい顔がオレンジのユニホームに身を包み、市川大祐選手、平松康平選手、藤本淳吾選手、高木和道選手、高木純平選手ら現役組とピッチを駆けた。
○…「一生の宝物になる試合となった。14年間の思いを込めて、本当にありがとうございました」。沢登氏は清水一筋のプロ生活で築いた人と人とのつながりの重さを痛感していた。報道陣ですら「最近のJリーグオールスターゲームよりもオールスター」と言うほどの豪華メンバー。「1人1人電話したら、みんな二つ返事で快諾してくれた」と感謝した沢登氏に対し、招かれた側は「ノボリの人柄」を異口同音に強調した。立ち見も出るほどの盛況ぶりにラモス氏は、「ノボリの流した血と涙に対するサポーターの恩返しでしょう」と評した。
○…ラモス氏は後半「ジャパン」チームに入った沢登氏に背番号10のユニホームを譲った。「自分の引退試合なのに(周りに)気を使うノボリらしいけど、日本で10番が似合うのは木村和司(元横浜マリノス)とノボリしかいないと思ってるから」と言葉に力を込めた。中山選手も「これだけ詰め掛けたお客さんは、みんなノボリのプレーを見て、感じて来た人たちばかり。自分もまだ頑張るぞという気にさせてくれた」と言い、「でも僕は引退試合はやらないと思う。ボロボロになるまでやるつもりですから」と“ゴン節”を披露した。
○…沢登氏に負けない大歓声を浴び、スタンドからのリクエストで再出場も果たした長谷川監督。ファンには7年遅れのケンタ引退試合を重ねる思いもあったようだが、長谷川氏は「これだけの選手、サポーターが駆け付けたのもノボリの人間性でしょう」。昨季最終戦で痛めたヒザを心配しながらも90分間フル出場したカズこと三浦知選手は、「こういう試合でもできることを精一杯やることで、ノボリをリスペクト(尊敬)する気持ちを表した」。面子も意識も、まさに「オールスターズ」。90年代当時に比べて日本代表の力は格段に上がったのは間違いないが、このような熱く結束した世代は2度と現れないのかもしれない。
○…「新人のノボリと富士川の河川敷で練習し、日本平を走ったゼロからのスタートだった当時を思い出した」と大榎氏。山口素弘氏(横浜FC)は99年元旦、横浜フリューゲルス解散直前の天皇杯決勝で清水を下した思い出を語り、「エスパルスにも存続の危機はあったが、それを挟んでノボリはエスパルス一筋でまっとうした。幸せ者だし、立派だった」。それぞれに歴史がある。久しぶりに掲げられた出場選手の応援「だんまく」も幾分色あせた。「カズ」と「ゴン」ら少ない現役組を残し、何か1つの時代が終わろうとしていると思い、会場を後にしてから感傷的になった。
(1/22 掛井 一也)
「だんまく」とはスポーツ大会で目にする応援用「横断幕」の通称。時に温かい声援、時に檄文(げきぶん)の横断幕にならい、静岡県内スポーツ界の出来事を中心に、折に触れた話題を取り上げます。