○…いまさらの感がないわけではない。プロボクシングの“亀田家騒動”である。世界タイトルマッチで亀田大毅選手(18)が反則を繰り返し、1年間の出場停止処分を受けた。試合の6日後に初めて開かれた謝罪会見では、金髪だった頭を丸め、無言のまま2分ほどで途中退席した。それまで無敗を誇った勝利後の歌披露など、一家の二男坊として発揮したやんちゃぶりとの落差は大きい。しかし、大相撲の横綱朝青龍がモンゴル帰国時に見せた姿同様に、「精神的ダメージ」「憔悴(しょうすい)」を装っているかのように見えてしまうのは、「怖いものなし」をうそぶいてみせた反動ともいえる。
○…会見で父の史郎トレーナーは伏し目がちに「とりあえず」を繰り返しながら、「ご迷惑をかけて申し訳ありませんでした」と言ってみせた。しかし、賛否相半ばしながらも「売り」でもあった“亀田家流”の言動について、「今後、パフォーマンスは」と問われると、「パフォーマンス?」と一瞬にらみを利かせてから言った。「これまでのスタイルが自分らのスタイルなので…」。パフォーマンスを演じたのではなく、スタイルすなわち生きざま、と言いたげだった。その通り、スタイルが際立っていたからこそ、殊勝な態度に「ホンマかいな」と勘ぐりたくもなる。ヒール(悪役)を演じていたわけではなく、もちろん道化でもなかったろう。一家に共通した「世間へのタメ口」は、それしか知らなかっただけなのではないか。
○…ならば、それを「社会にくみしない」ヒーローとして取り上げ、「こわ面のご機嫌取り」のごとく放任してきたメディアの責任は重い。加えて、タイトルマッチ前は無視に近かったチャンピオン内藤大助選手を一転、殊更までに取り上げる変わり身の早さは、「しょせんメディアなんて」のあきらめにも似たそしりを受けても仕方がない。ワイドショーを巻き込んだスポーツバラエティーの負の部分である。筆者はボクシングこそが最高の格闘技だと信じる。生身の人間が拳(こぶし)をまみえる。闘争本能に基づく「殴る」という行為は、二足歩行で両手が自由になった人類が、もっとも初めに手にした「武器」だろう。極めて原始的であるからこそ、競技スポーツとして成り立つには、相当の厳格なルールが必要なのだ。
○…「メーンイベンター」の言葉通り、興行色も濃い。興行という言葉に付いて回る闇(やみ)の部分もある。「ビッグ・マウス」(大口たたき)も、前景気をあおる常とう手段だ。しかし、何より禁欲さにかけては、スポーツ界一である。一部の海外王者の高額なファイトマネーが話題に上ることもあるが、大半はチャンピオンといえども生活すら厳しい。ましてや日本のそれは「清貧」という言葉が似つかわしいほどだ。アルバイト中のチャンピオンも少なくない。処分の翌日、静岡新聞に県内ジム会長らの反応が載った。タイトルを目指す所属選手を何度か取材した。誰もが真面目すぎるほどにまっすぐだった。わが身を痛めて得る経済的対価の少なさに、「なぜ、そこまで」の魅力と「浮世離れ」にも似た存在に惹(ひ)かれた。
○…会見の翌日、大毅選手は内藤選手の自宅を訪れ、直接謝罪したという。1年の出場停止はモチベーションや試合勘も含め、大毅選手言うところの「切腹」に近い処分だったのかもしれない。しかし、本当にどん底に突き落とされたのであれば、はい上がってきて欲しい。逸材であることは、紛れもない事実である。恵まれた環境とともに、その実力をも多くのボクサーはせん望していたはずだ。転向を歓迎する格闘技はほかにいくらでもあるだろう。「なぜオレはボクシングなのか」。彼が自問自答の末に大人になって帰って来れないのなら、地方体育館の薄暗い特設リングで血と汗を流す多くのボクサーに失礼である。
(10/19 掛井 一也)
「だんまく」とはスポーツ大会で目にする応援用「横断幕」の通称。時に温かい声援、時に檄文(げきぶん)の横断幕にならい、静岡県内スポーツ界の出来事を中心に、折に触れた話題を取り上げます。