○…胸の「焼津福一」の文字が誇らしげだった。北京五輪代表選考会の1つとなるレスリングの全日本選手権で、長谷川恒平選手(焼津中央高出)が男子グレコローマンスタイル55キロ級の頂点に立った。青山学院大を今春卒業し、地元の水産会社の看板を掲げて戦う。前回のアテネ五輪代表を下した初の全日本制覇は、来年の北京五輪代表選出を引き寄せる金星でもあった。
○…4度の優勝を誇る8歳年上の相手に第3ピリオド、ラスト30秒のグラウンドの攻撃で突き放した。「盤石かと思われていた優勝候補を打ち破り、『まだ実感は沸かない。信じられない』。興奮冷めやらぬ様子で喜びをかみしめた」。会心の笑顔で右手を上げる写真とともに、静岡新聞の紙面に喜びの様子が掲載された。「大学を卒業してレスリングを続けると決めた時、目標は五輪しかないと思っていた」。代表選手の発表が楽しみだ。
○…2002年秋、高知県の宿毛工高体育館。筆者の前に国体少年男子グレコ50キロ級を連覇し、高校総体との全国2冠に輝いた長谷川選手がいた。高校最後の大会は直前のEBウイルス感染で肝機能が低下し、出場は無理といわれた。出場許可は開幕の10日前。表彰式に臨むジャージーの下には、「出られるか分からないのに病院に届けてくれた」という同級生の国体激励寄せ書きTシャツを着込んだ。
○…小学生時代は全国少年選手権の4-6年各学年で日本一となり、団体戦の焼津リトルファイターズ準優勝2度、3位1度に貢献した。焼津中時代も同大会優勝を経験し、世界カデット大会の日本代表にも選ばれた。焼津中央高では通算全国7冠を達成し、ジュニアアジア大会でも3位に入った。高知で青学大進学を聞き、イメージのわかなかった筆者に「青学って強いんですよ」と笑った。そんな学生時代も、全日本学生連覇、国体連覇、国際大会銀メダルと活躍した。
○…前回アテネ五輪の静岡県勢代表候補を探る取材で、高校恩師の長野広之教諭と、長野教諭の修善寺工高恩師の米山巌県レスリング協会理事長に「恒平くんはどうですかね」と聞いた。学生と社会人の実力差を説明され、候補一覧から「長谷川恒平」の名を消した覚えがある。同時に両氏は「北京なら」と可能性も付け加えた。小柄でかわいらしい顔つきは、およそ格闘家を想像させない。5年後の紙面で再会した笑顔も変わらない。北京のマットでも見せてほしいと願うばかりだ。
(12/22 掛井 一也)
「だんまく」とはスポーツ大会で目にする応援用「横断幕」の通称。時に温かい声援、時に檄文(げきぶん)の横断幕にならい、静岡県内スポーツ界の出来事を中心に、折に触れた話題を取り上げます。