○…静岡県民の宿願といっても過言ではない全国高校サッカー選手権の県勢制覇。県民積年の思いも乗せて巡った決勝戦で藤枝東は、全日本ユースとの2冠を狙った流通経大柏(千葉)に0-4で屈した。74回大会で静岡学園が鹿児島実業と優勝を分け合って以来12年ぶり、単独では72回大会の清水商以来の県勢優勝はならなかった。当時の静岡学園1年には南雄太選手(柏レイソル)、清水商3年には川口能活選手や田中誠選手(ともにジュビロ磐田)がいた。優勝イレブンを思い起こせば、いかに県勢の全国制覇が久しいか分かる。とはいえ、今回の藤枝東は県勢として97年の同校以来、4強以上に許された国立競技場のピッチに県勢10年ぶりで立った。「王国復活」への胎動は始まったばかりだ。
○…3大会ぶり22度目の出場で7度目の決勝に進んだ藤枝東。昨年の春休みはメキシコ・アルゼンチン、夏休みは韓国に遠征して力を磨く一方、サッカー部OB会が積み上げた強化支援の歩みも見逃せない。OB会は2000年、地域の小学校4年生から中学3年生を対象にサッカースクールを開設した。02年秋にはNPO法人「藤枝東FC」に組織を強化し、U-15ジュニアユース(JY)チームを持つまでに発展させた。今回の登録25選手中、FC出身者は1年から司令塔を務めた河井陽介選手、U-19日本代表DFの村松大輔選手、左サイドのMF平井大樹選手、スーパーサブ中村龍一郎選手、MF控えの渡辺和也選手と浜川航史選手、2年生のFW村松一樹選手とDF増田有岐選手の8人。3年生はJYの1期生だ。
○…「地域への恩返し」を合言葉にしたFC設立は、「サッカーどころ」の称号を清水に奪われて久しかった藤枝復権へのテコ入れでもあった。静岡県サッカー史れい明期から中心をなし、戦前から多くの五輪日本代表選手を輩出した藤枝東。1965年度には総体、国体、選手権の全国高校3冠を達成したが、1980年前後から名指揮官に率いられた清水東、清水商、東海大一、静岡学園の台頭に遭った。県内勢力図は静清地区を軸に推移した。しかし、FC発足翌年以降は県総体と選手権県大会とも、それぞれ5回のうち藤枝東が3度制した事実、そして今回の健闘は、FCの成果が現れ始めたあかしであろう。
○…過去10年の静岡県勢の全国選手権戦績は2度の8強を最高に、初戦敗退3度。全国総体は準優勝と4強を1度のほかは、3回戦止まりで初戦敗退も2度。静岡県選抜で臨む国体少年男子こそ優勝2度、準優勝3度を含め、9年連続で8強以上だが、単独校の不振から「サッカー王国の衰退」とまでいわれた。全国選手権で優勝と準優勝をそれぞれ3度、9年連続で4強以上を誇った80年代には、「静岡県代表の全国は国立から始まる」とまでいわれた。隔世の感すら覚えるファンがいても不思議ではない。
○…一昨年の野洲(滋賀)、昨年の盛岡商(岩手)に続き、3大会連続で初優勝校が誕生した。全国のレベルが上がる中、果たして一極集中は昔日の夢。「王国」という言葉自体が既に死語なのだろうか。それでも、流通経大柏の本田裕一郎監督は静岡東高OB、決勝でも2得点を決め、全国総体、全日本ユースとの得点王3冠に輝いた大前元紀選手は清水エスパルスの入団が決まっている。2人の“県勢”の戴冠を素直に祝福するとともに、藤枝東のリベンジや静岡県各校の奮起で、再び「王国静岡」が全国を先導する時代の到来を信じたい。
(1/14 掛井 一也)
「だんまく」とはスポーツ大会で目にする応援用「横断幕」の通称。時に温かい声援、時に檄文(げきぶん)の横断幕にならい、静岡県内スポーツ界の出来事を中心に、折に触れた話題を取り上げます。