○…東南アジアで盛んな球技セパタクロー。その日本代表女子4選手が熱海市を拠点に、働きながら練習を続けて間もなく1年が経つ。安定した収入がなく、苦労して競技を続ける選手の支援と、従業員不足に悩む地元企業の労働力確保という一石二鳥のアイデア。4選手は市内のホテル勤務で遠征費を稼ぐなどし、昨年7月の世界大会では青木沙和選手(24)がダブルスで銅メダルを獲得した。日本セパタクロー協会の平野信昭会長によると、沼津市の企業も今春から男子代表の3選手を採用するという。男女の日本代表選手が静岡県東部を拠点にはばたくことになる。
○…セパタクローは1チーム3人の選手がボールをけってバレーボールのような攻防を展開する。インドネシアを中心に500年の伝統を誇り、東南アジアでは大変な人気競技だ。アジア大会では1990年の北京大会から正式種目に採用された。当時、西伊豆の松崎町で北京アジア大会を控えた日本セパタクロー協会の合宿を取材した。日本協会設立から半年足らず。代表選手は町内の食堂でアルバイトをし、滞在費を賄っていた。当時の国内競技人口は30人程度。選手もサッカーなどからの転向組だったが、「セパタクロー史をつくるのは自分たち」というパイオニア精神にあふれていた。
○…町営勤労者体育センターで早朝練習の後、夕方まで食堂で給仕を勤め、再び練習に励んだ。設立間もない日本セパタクロー協会は日本体育協会や日本オリンピック委員会(JOC)未加盟のため、アジア大会の合宿費も出場経費も全額自己負担だった。当時、長谷川健太氏(清水エスパルス監督)、反町康治氏(北京五輪日本代表監督)、三浦知良氏(横浜FC)らを代表選手に擁したサッカーと変わらない北京アジア大会の「日の丸戦士」は、協会役員の知人が住む松崎町を合宿地に選んで経費削減に努め、バイト先の食堂に募金箱まで置いた。
○…日本セパタクロー協会によると、現在は競技人口も2000人ほどに増えた。アジア大会は北京以降も連続で正式競技に採用され、特例としてJOC承認団体ともなった。JOC加盟団体になるには法人化が必要だが、アジア大会経費はJOCが負担するまでになった。平野会長(当時は協会理事長)は松崎合宿を振り返り、「あれから20年近く。2002年の釜山アジア大会では男女とも銅メダルを獲得し、強化に関しては速かったと思う」と語るが、普及に関しては「まだまだ」と認める。
○…熱海市で頑張る女子選手は釜山アジア大会の帯同トレーナーが同市在住だった縁で、練習場所として熱海温泉を紹介された。受け入れに協力したホテルで寮生活を続け、昼はレストランやプール監視員などの仕事をこなし、夜は市内の体育館などで練習に励む。熱海市でのセカンドライフ支援などを業務とする市ニューライフ支援室は、他競技団体にも同様の働き掛けを行い、紹介する企業には練習時間の確保や大会や遠征に伴う不定期な就労理解、食住の提供を求める。
○…世界大会では、青木選手のほか、2選手もチーム戦で5位入賞。静岡新聞には「会社をはじめ皆さんの温かい協力があって練習に打ち込むことができる。恩返しに熱海でセパタクローを広めたい」という選手の談話が載った。その後、市主催のセパタクロー教室も開かれ、4選手が講師を務めた。アクロバチックな技術や柔軟な体が必要なだけに、競技のおもしろさと取り組みやすさが相反するのも、普及が容易でない理由の一つだ。しかし、選手が指導する「身近さ」をキーワードに、子供を中心に普及の輪を広げてほしい。「創生期の苦しさより、今後の普及、定着に夢をかける」。20年近く前に聞いた選手たちの言葉は今も生きている。
(4/11 掛井一也)