○…柔道の北京五輪男子100キロ超級代表の最終選考会を兼ねた日本選手権で、3大会連続の五輪出場を狙った井上康生選手は準々決勝で敗れた。「負けても悔いなし 夢追い続け万感の表情」。静岡新聞の見出しに4年前のあの日を思った。ギリシャ・アテネのアノリオシア・ホール。男子100キロ級の4回戦で井上選手は、オランダ人選手に1本背負いに不覚を喫した。そのまま、しばらく仰向けで大の字になった。内外の新聞各社や通信社が配信した「放心の世界王者」。宙をさまよう視線は観客席にいた筆者の真下にあった。
○…あの日の柔道会場には、バルセロナ五輪女子52キロ級の銀メダリストで磐田郡福田町(現磐田市福田)出身の溝口紀子さんに会うため訪れた。当時の溝口さんは静岡県立大短期大学部助手を休職し、柔道フランス女子五輪代表チームのコーチを務めていた。試合直前の調整に同行する溝口さんに代わり、しばらくはご主人に一般席で話を聞いていた。夫の目から見たコーチぶりなどを聞き、いったん席を離れた。眼下の試合を眺めながら報道員席で30分ほど待機すると、正面の一般席最前列に溝口さんを見つけ、駆け足で会場を半周した。
○…ところが、一般席の入場口にいたボランティアスタッフの年配女性に呼び止められた。「指定席券は持っているの?」。報道員証を見せて通り抜けようとしたら、大声で「ストップ!」。セキュリティー担当の腕章を指し示し、入場券がなければダメだという。「さっきは何も言われなかったし、報道員証は特別な区域を除いてフリーパスのはず」。つたない語学力で主張したが、女性は激しい剣幕で「ノー」を繰り返すばかり。別の通路から観客席に降り、最前列で身をかがめていたが、たちまち見つかり、これまで以上の大声で注意を受けた。その時だった。筆者の耳に場内を包む悲鳴とどよめきが届いた。
○…何ごとかと振り向くと、まさに眼下に大の字になった井上選手がいた。カメラマン席よりもはるかに好ポジション。ペン記者と写真記者の報道員証が明確に区別されていたので、この時、カメラはバッグの中だった。翌日、プレスセンターに構える各社ブースの外壁には、それぞれカメラマンがとらえた「放心の世界王者」の姿が張り出された。「あの時、カメラ撮影が許されていたら」。井上選手の力ない視線はまっすぐ筆者のファインダーに向かっていたはずだ。仕方がないことだったが、返す返すも残念でならなかった。前回シドニー大会はオール1本で頂点を極めた井上選手は、3位決定戦にも敗れてメダルにすら届かなかった。
○…日本選手団として五輪史上最多のメダル37個に沸き、金16個の半数を占めた男女柔道ニッポン。それだけに、日本選手団の主将も務めた「世界最強の男」の屈辱の姿は印象的だった。「こんな屈辱やつらさは味わったことがない。これをプラスにしてはい上がっていこうと思う」。復活を誓った言葉は100キロ超級で臨んだ4年後、「自分を出し切った。悔いはない。夢を追い続けてきたことは良かったと思う。成功に終わらなかったが、この経験は今後に生きてくる」に変わり、関係者に引退も示唆したという。北京五輪の開幕まで100日を切った。再びどんなドラマが待ち受け、静岡新聞の取材陣もまたどんな歴史の目撃者となるのだろうか。
(4/30 掛井一也)