○…北京五輪が閉幕した。7競技に挑んだ静岡県勢14選手の中でも、レスリング男子で銀メダルに輝いたフリースタイル55キロ級の松永共広選手=焼津市出身、沼津学園高(現飛龍高)出=、泳ぐたびに日本記録を更新して5位入賞を果たした競泳男子200個人メドレーの高桑健選手=裾野市出身、日大三島高出=は見事だった。世界王者、元世界王者を連破して決勝に進んだ松永選手は、個人競技の県勢としてはバルセロナ大会以来、4大会ぶりの県勢メダリストとなった。高桑選手は前人未踏の8冠王者フェルプス選手(米国)とも準決勝、決勝で戦い、沼津市のスイミングスクールでコーチを務める父親の思いも重ねた初五輪での快泳だった。
○…思いといえば、松永選手と高校同窓の水泳部OB3選手もそうだった。競泳男子400メートルリレーで決勝にコマを進めた日本は、メンバー4人のうち2人が飛龍高の卒業生。第3泳者の物延靖記選手とアンカーの松本尚人選手は1学年先輩後輩の間柄で、県外出身同士として寮で同じ釜の飯を食った仲だ。また、近代五種に日本人選手4大会ぶりの扉を開いた村上佳宏選手(静岡市清水区出身)も沼津学園高時代の水泳部のOB。3人の恩師である杉山康監督は全国高校総体(インターハイ)と重なって北京入りはできなかったが、22年前の赴任に伴う水泳部創設以来の「指導法に間違いはなかった」ことを、教え子が世界の舞台の“沼学魂”で証明してみせた。
○…競泳は延べ2、3日で雌雄を決したのに対し、男子に斎藤信治選手(東レ=三島市)、女子に杉山祥子選手(小山町出身、富士見高出)がメンバー入りしたバレーボールはリーグ戦から延べ1週間を戦った。近代五種の村上選手は射撃、フェンシング、水泳、馬術、ランニングの5種目すべてを約12時間で一気に戦い抜き、陸上で予選敗退に終わった女子走り幅跳びの池田久美子選手と男子やり投げの村上幸史選手のスズキ(浜松市)コンビは、ともに3回の跳躍と投てきという短い本番に終わった。開会式に先立ち始まったサッカーで反町康治監督(清水東高出)が率いた男子は、岡崎慎司選手、本田拓也選手、山本海人選手の清水エスパルストリオと内田篤人選手(清水東高出)が臨んだが、延べ1週間にわたった1次リーグ3戦全敗で帰国した。卓球男子の水谷隼選手(磐田市出身)も団体とシングルスの長丁場だった。
○…さまざまな思いで臨んだ大舞台は、かようにも競技によって“本番”の時間に大きな差がある。中でも延べ11日間の長きにわたる戦いの場を与えられ、国内トッププロ集団で「歴史を変える」(星野仙一監督)と臨んだはずの野球はメダルなしに終わった。高校時代は汗とともに噴き出していたはずの勝負への執念を置き忘れたかのようだったナインや、アマチュア球界で採用の延長特別ルールやストライクゾーンにまで疑問を呈した指揮官は、たった3度の試技で戦いに敗れた池田選手や村上選手の“あまりにも短い真剣勝負”に何を感じるのだろうか。プロは優遇を保証されている分、結果責任も持つ。日本のアマ野球で頑張る選手から「最高峰の舞台」を奪ってまで臨んだ舞台であったことをかみしめるべきだろう。
○…前回アテネ大会の陸上男子110メートル障害で、アジア勢初の陸上トラック競技金メダリストとなった中国の劉翔選手。地元での連覇が期待されただけに、古傷再発による1次予選棄権に同胞の非難はすさまじかった。CM出演などで得た巨額の報酬も“反感”に拍車を掛けた。プロアスリートであるからこその英雄たたきでもあるが、開会式に参加できるか否かまで論議されるほど、調整不足は織り込み済みだった。ならば「激震」「波乱」の見出しは度がすぎないか。陸上男子ハンマー投げで連覇を狙った室伏広治選手も同様だ。日本出発前から春先に痛めた腰に違和感を覚えていたという。“失速”は予想の範囲内ではなかったか。
○…「4年間が凝縮された1時間だった。持てる力は出し切った」。体調万全でなかった室伏選手には当然の言葉だろうが、国民の期待を承知で臨んだとしたら、「満足談話」だけでは首を傾げざるを得ない。劉翔選手の場合は語ることで中傷のあらしを沈静化させる狙いもあったろうが、一部メディアを通じて「申し訳ない」と“謝罪”した。女子マラソン途中棄権の土佐礼子選手の場合はどうか。大メディアの大半は厳しい結果を見て、痛めていた外反母趾(し)の件は以前から分かっていたと言う。室伏選手の腰痛には触れず、金メダル候補として国民の期待をあおったのと同様に、“お祭り報道”の責任は重い。
○…五輪の商業化やイベント化が当たり前となり、大会の規模は巨大化する一方だ。「より速く、より高く、より遠く」。個人と個人、チームとチームの戦いが、国別対抗大運動会のひとこまとしてのみ込まれる。スポーツの祭典の「祭典」部分が強調される一方で、プロ選手の参加が認められ、セミプロと呼べる選手も多くなればなるほど、どんな結果であろうと温かく見守ってあげるべき選手と、結果には厳しい指摘を受けるべき選手とに大別されてしかるべきではないだろうか。残念だが、仕方がない。
○…西側諸国がボイコットしたモスクワ大会を思えば、北京五輪は社会主義国家で開催された希有(けう)な大会だった。国家的な育成強化と、自国の優越性を標ぼうする中華思想に基づき、中国は金メダル51個という驚異的な数を獲得した。「一つの世界、一つの夢」は中国のためのキャッチフレーズだったかもしれない。開会式の「少女口パク」も「少数民族の子供たち」も当然の演出とする国に、世界中の目が集まったことに意義ある。変ぼうする中国のさらなる一歩に期待すればこそ、現状への非難は当たらない。閉会式で国際オリンピック委員会(IOC)のロゲ会長は言った。「本当に特別な大会だった」。“統制五輪”が成功だったか否かは、中国の今後の歩みに答えがある。
(8/25 掛井 一也)