∋ 球団の合併問題をめぐるプロ野球選手会の”決起" は、中高年層に日本ではほとんど死語になりつつあった「ストライキの風景」を思い出させました。若者には、初めて見る「連帯のイベント」として新鮮に映ったようでした。1970年代前後、列島を吹き荒れたのは学園紛争の嵐です。全共闘(ぜんきょうとう)に象徴される学生運動、ジュラルミンの盾を構えて対峙(たいじ)する機動隊、火炎瓶や投石、大衆団交。バリケード封鎖の街頭やキャンパスでは流血の衝突が繰り返されました。「ゲバルト(暴力)」的な空気の中で熱にうかされたように「主義」や「思想」が語られ、価値観の相克が世相のあらゆる場面を裁断していました。希望や失望、友情や反目、達成と挫折が激しく交錯した「ストの時代」でした。
∋ 授業料の値上げ、キャンパスの移転、学部の再編など、公私を問わず紛争の芽のない学園はなかったほどです。知識人を育てる大学が、混乱にもまれて浮遊し、自力解決の道を失っていました。そこにイデオロギーが持ち込まれ、過激さが増幅しました。”天王山" とされるのが、東大安田講堂攻防戦でした。既に35年前のことです。警察力により籠城の学生は排除され、以後、各地の紛争は収束に向かいました。当時、反体制運動の色彩を帯びた学生たちの攻撃の矛先は、国策ともいえる「産学協同」に向けられました。
∋ 大学自治と対立する概念として、産業界と大学との関係がとらえられていました。象牙の塔と呼ばれる聖域を墨守しようという側面がありました。官僚機構主導に対する強烈な反発は、産学協同=腐敗堕落、軍事加担ときめつけていました。大学は、外部からの介入を招くとして、産業社会との関わりに臆病になっていったと思えます。
∋ 先日、静岡市で開かれた「しずおか新産業技術フェア2004」を見学しました。中小企業の新技術新製品の展覧で、広い会場を工業製品、IT関連、医療・健康関連など6ゾーンに区切っていました。「大学・金融・支援機関関連」という区画があるのに昔日の感を深くしました。今は「産学官連携」という言い方をします。概して「敷居が高い」といわれる大学の側が、積極的に産業界との連携を求め、殻を破って出てきているとの印象を抱きました。
∋ 教員がブース内でガイド役をしています。照れ気味でたどたどしい説明をする姿に好感を持ちました。企業が求める技術相談の手続き、経営コンサルティング、受託や共同研究などについて資料を用意して便宜を図っています。企業と大学教員の橋渡し役を務める「産学官連携推進コーデイネーター」の存在も知りました。学内で所有する特許一覧表を見ると、知の拠点としての重みを実感します。研究成果を技術移転という形で社会還元してゆく。企業現場で実際に使われることで産業活性化に貢献するのです。
∋ 静岡県には、「ものづくり」の脈々たる伝統があります。それを下支えした大学の「研究室」の存在もよく知られています。テレビの歴史は、浜松高等工業学校(静大工学部)の高柳健次郎博士とともにあります。町工場を世界企業に育てた本田宗一郎さんが、ヒントを求めて大学通いしたと話されているのを聞いた記憶もあります。産学連携の萌芽は早くからあったのです。学者はベンチャーの指南役、起業の芽は研究室にあり、ということでした。
∋ 少子化は、日本の将来にとって深刻な課題となっています。入学者の減少は特に、大学に自己改革を迫っています。まさに、大学が選ばれる側に回る生存競争の時代に入ったのです。学生と向かい合う教育責任を放棄している、ろくな論文を書きもしない、社会還元、社会貢献に関心がない、ただ研究室にこもっている-といった大学人はもはやありえない。フェアの会場でもらった資料に、「大学の知識・技術は公的財産です」とある通りです。
(鮟鱇)
※Webコラム「一灯」は、ShizuokaOnline.comを運営する静岡新聞社・静岡放送 総合メディア局のスタッフが執筆するオリジナルコラムです。時事問題を中心にさまざまな話題を取り上げていきます。