∋ 4年前の晩秋から冬にかけ、全国の大学や国の研究機関に、地震・防災の研究者を訪ね歩く取材を重ねていました。早朝、銀なんの香りでむせかえっていた東大のイチョウ並木。日没間近の東京工業大キャンパスには、その年のノーベル化学賞に輝いたOB・白川英樹氏の受賞を祝う立て看板が飾られていました。日の落ちた筑波山のふもとで、寒風に凍えながら国の研究施設を目指したのも懐かしい思い出です。お目にかかった地震学や地球物理、地質、耐震工学、社会心理学といった分野の研究者は、いずれも多忙な方々でしたが、時には早朝であったり、深夜であったり、遠来の取材者のために貴重な時間を割いて下さいました。
∋ 取材の成果は、翌2001年初めにスタートした静岡新聞紙上の連載企画「2001年 東海地震は今」と「週刊地震新聞」に反映されていきました。11月29日に通算200号を迎えた「週刊地震新聞」は、これら研究者をはじめ、防災に心を砕く市井の自主防災関係者やボランティア、行政機関や民間企業の担当者ら、多くの方々のご協力を抜きにしては続けてこられなかった企画です。私が担当した1年足らずの間だけでも、無理をお願いし、出張前の慌しい時間を取材に充ててくださった方や、体調を崩されてふせっている自宅の床のわきで、寝巻き姿でお話を聞かせてくださった方がいました。
∋ 「200号に寄せて」と題した文章を寄せてくださった名大大学院の福和伸夫教授もそうしたお一人です。初めてお目にかかった大学の研究室。休日にわざわざ取材のために出勤してきた教授は、防災意識の醸成に果たす報道機関の役割について、大きな期待を寄せてくださいました。住民の防災意識を高めるために、まず、報道関係者に正しい認識と高い防災意識を持ってもらいたい。そう力説されていたことを覚えています。
∋ 福和教授の熱意は間もなく、名大が中心となって、研究者と中京地区の報道関係者の定期的な勉強会を組織するという形で実践に踏み出されました。月例の勉強会は行政関係者もメンバーに加えて輪を広げ、積極的な活動を続けています。教授は、静岡新聞SBSが2年前から展開している「親子防災スクール」でも、毎回快く講師を買って出てくださいます。自らも「情熱を持った辻説法役」として、地道な取り組みを続けています。
∋ 「週刊地震新聞」は東海地震説から四半世紀、25年の経過を節目に始めました。一貫して読者、県民の方々に訴え続けてきたことは「減災」の思想と実践です。県民の耳に慣れ過ぎてしまった「防災」に代わるキーワードとして、新鮮な響きがあり、「地震のような天災をゼロにすることはできないが、被害をなるべく減らすことはできる」という現実的な対応を思い起こしてもらう言葉になればと、意識して使ってきました。「減災」の行き着くところ、究極の目標が「被害ゼロ」であるのはもちろんです。そこまでの道のりを一歩一歩着実に、歩みを絶やさずに前進していこう、という決意を県民の皆さんと共有したいと考えました。
∋ 200回を通じた私たちの訴えは、ホームページ「静岡新聞」サイトの特集「東海地震は今」で振り返っていただくことができます。速報ニュースへの需要が高い報道機関のホームページにあって、過去のニュースの集積である「東海地震は今」が連日、多くの方々に閲覧されているのは異例とも言えます。まさしく福和教授の言う「読者の見識の高さ」のあかしと受け止めています。「大切なものを守るために、学びから実践へとシフトする時である。週刊地震新聞の役割はまだまだ大きい」。福和教授はそうも書いています。週刊地震新聞の歩みとともに、このホームページも「辻説法役」を果たしていけたら。決意を新たにしています。
(鯔)