∋ 現役を退いた先輩と、久々に会いました。作家の小川国夫氏が喜寿を迎え、親しい人たちが集まって祝うため出かけてきたのでした。小川さんといえば、『アポロンの島』以来、『生のさ中に』、『悠蔵が残したこと』、『試みの岸』、川端康成文学賞受賞作の『逸民』など多くの名作で幅広い年代の読者を魅了しています。生地の藤枝市に在住し、地域の人々から敬愛される”郷土作家”の顔も知られます。
∋ 当日の午後、小川さんは藤枝文学舎を育てる会、市主催の「秋の市民文芸講演会」でファンを前に話していますが、静岡新聞の記事によると、その演題が「故郷を見よ」でした。郷里とその周辺の地に深い愛着を抱き、精力的な創作を続ける小川さんは、温厚さと包容力をそのまま具現したような方です。このタイトルに、土を踏みしめる小説家の穏やかながら決然とした訴えが込められているように感じました。「土地」に透徹の視線を注ぎ、そこでの人間の奥深い精神的営みを光と翳(かげ)の交錯する文章に表出させる。
∋ 小川文学の研究家でもある先輩は、「文学舎-」の刊行する冊子に寄せた文章で、小川さんと吉本隆明氏との対談で「影響をなんらかの意味で受けた作家」についてやりとりがあったことに触れています。その際に名前が挙がった<神西清云々>の部分を記憶に刻んでいたため、後に小川さん本人に確かめたと書いています。神西訳のツルゲーネフを読んでいたためらしいことを知りました。
∋ 自伝的小説『悲しみの港』で「私」が読みかけの本を読んだ、それがツルゲーネフの『猟人日記』で、「私」は「何よりも自然描写に心惹かれて読んでいました。森の中の微かな音も澄んだ大気も感じられました」というくだりがあり、先輩はその部分に注目していました。
∋ 「<森の中の微かな音>に耳を傾けながら、トボトボ歩く小川国夫さんの姿が眼に浮かんで来る。武蔵野に限らず、藤枝の蓮華寺池周辺でも同じことであろう。孤独な魂の孤絶した足取りである」と、結んでいます。小川さんが、「蓮華寺池周辺」を散歩する姿は、地元でもよく目撃されています。この散歩が、作品にも投影されています。子らが遊び高齢者が談話する市街地の平凡な空間が、作家の視線がとらえることで深い意味を持つ精神世界になってゆく。
∋ 土地、歴史、風俗や伝承、それらの上に成り立つ「今」。「そこに在る」ことの意味。愚者には思いも及びませんが、せめて、「微かな音」に聞き耳をたててみようと考えます。それはおそらく、喧騒の都会、人工的で無機質な空間では聞こえないものでしょうから。
(鮟鱇)