∋ 吉村作治早稲田大学教授は、エジプト考古学の泰斗で、遺跡の保存修復に貢献しています。吉村さんの小説『ナイルの暗号』は、遺跡の盗掘をストーリーの軸に据えています。歴史の貴重な所産が、あばかれ、荒らされてきた過去を思うと、暗然とした気分になります。もし、そのまま保存されていれば…。
∋ エジプトのカイロ考古学博物館を訪れたことがあります。図鑑などで鑑賞し、生涯一度は実物を、と念じていた文物を間近にした時は興奮しました。展示品の多さに圧倒され、ナイルの文明の偉大さをしのびました。ツタンカーメンの黄金のマスクはもちろん最大の呼び物で、警備は厳重、写真撮影も禁止されていましたが、歴史を証言する出土品の数々が、日本の感覚からすると無造作にすらみえるほど大様に陳列してあるのには驚きました。
∋ 王家の谷で知られるルクソール市内にも博物館があります。展示の規模からすれば、カイロの比ではありませんが、スペースにゆとりがあり、発掘された品々を展覧するコースの設定なども配慮が行き届いていました。王や従者、民衆の壮大な物語を数千年を経て想像するには格好の施設でした。遺跡は、盗掘という人間の愚行との戦いを超えて現代人に語りかけるのです。
∋ アフガニスタンの原理主義勢力タリバンによって、バーミアンの大仏立像など石仏群が破壊された時の映像は、今も脳裏に焼きついています。人類の知恵と祈りの営為は、爆薬によっていとも簡単に葬り去られたのです。画家の平山郁夫さんらは、アフガンから流出する古美術品を国連教育科学文化機関(ユネスコ)が収容し、政情安定後に返還する計画「文化財赤十字」を提唱していました。先日の静岡新聞文化欄には、米国在住の日本人アーティスト、ヒロ・ヤマガタさんが、破壊の行われた壁面にレーザー光線を照射して石仏の画像を蘇らせるプロジェクトを発表したと伝えていました。現代の科学を活用する新たな試みです。巨額の費用は、米国内の人脈を生かし、寄付を募るといいます。
∋ 戦火が、遺跡、文化遺産の最大の脅威であることは論を待ちません。政治の闘争が武器の応酬に至り、文化財が巻き込まれ消失してゆく歴史をみてきました。平和の恩恵を享受する国は、人間の知恵の所産を守ることに貢献できます。例えば平山さんの理念は、紛争当事国にも説得力を持つでしょう。壁画で有名な北朝鮮の高句麗古墳群の世界遺産登録に尽力したとして、平山さんは韓国政府から「修好勲章興仁章」を授与されています。
∋ 先ごろ、バグダッドのイラク国立博物館の職員2人が、ユネスコ文化遺産保存信託基金の援助で来日し、静岡市の県埋蔵文化財調査研究所で文化財の保存修復研修に励んだことがありました。当時の記事によれば、メソポタミア文明の文物を多数所蔵しているが、やはり戦争で大規模な略奪に遭ったりして、一般公開は今も中止されたままだそうです。戦争当事者は、勝利のために相手国の文化を破壊し尽くすことを狙います。21世紀の今も、こうした危機は各地にあります。遠く離れた私たちは、無力でしょうか。文化保存という形での支援は可能です。
(鮟鱇)