∋ 静岡県立中央図書館は、江戸幕府の旧蔵書のコレクション「葵文庫」の収蔵で知られます。その創立80周年を記念して開かれた「葵文庫と貴重書に見る日本と世界」展を先日、鑑賞しました。新井白石『西洋紀聞』(刊行は1882年)、渡辺崋山『慎機論』(1839年著述)写本、高野長英『戊戌夢物語』(1882年)写本など、日本史に登場する著作のタイトルが並ぶ展覧でした。
∋ 会場入り口近くの「浜松県公選民会小区議長議員選挙投票」という冊子に目がゆきました。1876年(明治9)の浜松県民会選挙の投票用紙を何枚も綴ったものでした。開いた個所には、墨字で5人の名前が列記されています。記名投票の投票者だということです。
∋ 中に女性の名が一つあります。投票資格には「戸主を選挙人とする」と規定されていたようです。女性が投票しているからといって男女同権が行き渡った選挙だったということではないようで、そんな趣旨の説明が付してあります。「投票する」という行為は社会の成熟とともに「主権者に保証される権利」です。この権利が現在のように当たり前になるには、長い歴史の曲折を経る必要がありました。
∋ 「landslide=ランドスライド(地滑り)」というと、選挙の勝敗、殊に勝利の形容です。「歴史的圧勝」とされる自民のランドスライドをもたらして第44回衆院選は、審判が下りました。議席結果の前にまず投票率に注目します。全県の確定投票率は68.81%で、前回より5.26%上昇しました。事前の予想で有権者の関心はかなり高い、といわれていたのを反映したのでしょう。ここ数年、各選挙で低下一途の数字をみせつけられてきただけに、すっかり軽くなってしまった「一票の権利」が、とにもかくにもその重みを回復したのです。
∋ もやもやした空気が漂い、社会が閉塞してなんとはなしに自信喪失に陥っている時に、肝心の政治が停滞しているようにみえる、それを変えるしかないのでは、という思いが有権者を投票へ駆り立てたのは間違いないでしょう。今回の選挙を特徴づける局部的なキーワードはもちろん「郵政」「小泉政治」だったでしょうが、底流では国の盛衰をかけた重大な審判だったと思います。一人勝ちをおさめた「小泉マジック」の主役は、感想を求められて、自民という新党ができた、といった趣旨を述べていました。郵政の単一政策を弾みに新党をつくろうというのが、刺客といった物騒な言葉が象徴する「劇場型」選挙だったのでしょう。確かに都市部での強さ、女性や若手の台頭をみるだけでも、自民党的ヒエラルキーが変容を遂げたのは認められます。
∋ 鬱屈した気分のところに「改革」の絶叫が響いてきました。そして与党に空前の議席を与えたことで、改革の入り口には立ったのでしょう。出口がしかし、見通せるわけではありません。迷路の先に光明が保証されるのか。混迷の旅程には、深刻な危機がたちはだかっています。少子高齢化、生産人口の縮小、社会保障の揺らぎ、行財政のゆくえ、グローバル化と国際競争の熾烈化、暮らしに暗影を落とす環境破壊などの課題は、いずれも従来の尺度では測りきれません。構造変化の断面の露呈したものです。そこをくぐり抜けて、豊かさと安寧の出口に至らなければなりません。それが「小さな政府」のようです。
∋ この選挙では有権者の関心が高く、政治が身近になったと評価されました。それはそれで結構ですが、果たして政治の在るべき姿が現実化しているでしょうか。選挙戦での浮遊する、哲学不在の言葉を聞いていると、政治に理念や志が希薄で、なにやら軽い見世物化しているように思えるのです。なにをおいても、国の将来を明瞭に見通した国家観と具体的な手立てを提示してほしいのです。私たちは、それを監視するのです。
∋ ”選良”たちが誕生しました。まずは、かれらが発する言葉を見逃さず聞き逃さないようにします。よきにつけあしきにつけ、政治の結果を背負うのは私たちです。腐敗の政治になるか、徳政が実現するのか。結局は”行使した票”を選挙後も生かせるかにかかっているのです。選挙というお祭りは幕を閉じました。予告編を見終わって、やっと本編の幕が上がるのです。
(鮟鱇)