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2005年「Webコラム一灯」

 二足のわらじ

2005/10/02

  昨年秋、明治の文豪森鴎外が家族に送った手紙やはがき、子どものための手づくり教科書など未発表資料の刊行が話題になりました。軍医、作家として日本の近代化にしるした足跡の大きさはよく知られる通りですが、父・鴎外の家庭人らしさ、人間くささがしのばれるということでした。

 

  小欄のバックナンバーをご覧ください。「文豪の宿-新聞小説史を楽しむ」のシリーズです。日本近代文学の興隆期に輩出した作家群を紹介した「明治・大正・昭和 新聞小説史展-高木健夫文庫から」が横浜市の新聞博物館で開かれましたが、その模様を題材に高木氏の著作を併せて取り上げたりしたものです。

 

  日本文学を代表する巨匠たちが、新聞小説を発表の舞台にしてきら星のごとくに輩出したのをあらためて概観すると、驚くばかりでした。森鴎外も当然、登場します。が、大家必ずしも人気作家ではないようで、鴎外の書く史伝は難解で面白みを欠くと、読者に不評だったとのエピソードが紹介されていました。かえって親しみを感じたほどでした。

 

  8月12日の死去が明らかになった元日銀理事・吉野俊彦さんは、気骨のエコノミストとして政財界を問わず知らぬ人はないほどの著名な方です。静岡新聞の客員論説委員として「論壇」に健筆をふるっていました。この欄としては絶筆になる7月20日付けの文章を読み直してみました。景気認識が微妙な時期、デフレに対する政府の基本姿勢を明確にせよ、と鋭く迫っています。卆寿を超えたペンはいささかも衰えることなく、読む者を納得させます。

 

 ∋ 日銀で調査畑を歩み、日本有数の論客として今も語り草の「高度経済成長か安定成長か」をめぐる論争を繰り広げました。吉野さんには、もう一つの顔がありました。森鴎外研究者です。この分野でも一級の業績を挙げ、学術振興に貢献しています。軍医、作家として”二足のわらじ”をはいた鴎外は、まさに知の巨人です。その人間的側面にも注目した吉野さんは、自らも分野を超えて研究を深め大作家の魅力を引き出したのです。

 

  義務教育の国語教科書から夏目漱石や鴎外が消え、議論を巻き起こしたことがあります。吉野さんは、日銀券つまりお札の表面の肖像について、文化人代表として鴎外を強く推す論陣を張っていました。1984年、一万円券に福沢諭吉、五千円券に新渡戸稲造、千円券に漱石が選ばれました。政治家中心から文化人に切り換わったことを喜び、さらに女性作家樋口一葉(五千円)、細菌学者野口英世(千円)の登場を大いに歓迎し、論壇で取り上げていました。

 

  教育の場で「教養」の意義が軽んじられる気配があり、活字離れとともに読書の衰退が懸念される状況です。デジタルメディアの浸透とともに、情報の入手が容易になりました。それかあらぬか、最近の風潮は、物事を突き詰めて考える、深く思索する忍耐に価値を置かないようにみえます。読み、咀嚼(そしゃく)し、反芻(はんすう)するエネルギーがもたらす成果にこそ知的成長があるのではないでしょうか。吉野さんの知の軌跡に学びたいものでした。

(鮟鱇)




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