∋ 静岡県藤枝市在住の作家小川国夫さんは、「枝っ子」を自称し生地に根をおろして創作活動を続けています。故郷ものとでも言うべき系譜に連なる作品群の土壌になっているのは、街道、池、川と河口、海、そして港…といずれも藤枝市はもちろん、静岡、焼津市、大井川、吉田町などの風景です。これらに注がれる光が、作品世界を形づくる”地の言葉”とともに、小川文学の魅力になっています。
∋ その舞台を映像におさめる取材活動に取り組んでいます。作品が書かれた時代とは街並みは変わり多くの風景が消失したはずですが、ほんの一部を訪ねただけでも、小川さんの軌跡が、余人には及びがたい”丹念な歩”の積み重ねであることが分かります。小説の場面をたどり、恐らくここが、と思われる地点に着いてみると、観察のこまやかさ、土地への思い入れを教えられます。包容の視線とでも表現したらよいでしょうか、草木の一本、路傍の石の一つにも愛着を込めているように思うのです。
∋ ”軽便”とその駅は、欠かせぬ要素です。ネットの検索でもヒットした「静岡鉄道駿遠線」は、藤枝-相良-袋井間の鉄道路線です。『しずおか辞典 発見伝』(静岡新聞社刊)によると、全長64.6kmは、軽便として日本最長だったといいます。藤相線と中遠線が1948年に接続して誕生しました。駿河国と遠江国を結んだのです。
∋ ご多分にもれず大量・高速輸送、モータリゼーションの波に洗われ、1970年に全線廃線となりました。既に40年近くを経て、軌道敷や関連施設はほとんどなくなっています。下調べで情報のありそうな機関に尋ねると、これこれこういうものが「あるはずだ」という回答です。確証がないまま、出かけました。
∋ 大井川右岸、富士見橋を渡り切りました。軽便大井川橋梁跡を示す碑が「あるはず」ですから、視線を凝らし、車を回しました。それらしい石柱をガードレール際に見つけました。石の表面は劣化しています。間違いないだろうか、と疑念を抱きましたが、同僚がそれこそ顔をこすりつけんばかりに仔細に観察すると、ありました。由来を記したらしい文字です。感動しました。
∋ 軌道敷は取り払われ遊歩道に変わり、それなら駅の名残りでも、と調べたのが、旧岡出山駅舎です。藤枝市役所、飽波神社に囲まれた一角、いかにも年季ものの建物があります。引き戸のすき間からのぞき込んだ撮影スタッフが声をかけられ、中に入ってゆきます。
∋ 塗装店を営む安藤文一さんは73歳。志太中(現藤枝東高)の出身といいますから、小川さんと同窓です。建物は間違いなく旧岡出山駅舎で、昭和42年に10m余道路側から移築したのだそうです。内部は当時のつくりそのままで、安藤さんの仕事場になっています。塗料がにおう中で、安藤さんはアルバムを見せてくれました。往時の写真が何葉か、線路の奥に車両が写ったものもあります。のどかです。資料を収集保存している中に、市制記念に刊行した書籍や写真集があります。駿遠線を取り上げた新聞記事の切り抜きも挟んでありました。社会科の郷土史勉強に小学生がやってくる、そのために用意しているとのこと。
∋ JR藤枝駅近くには、「新藤枝駅」がありました。今はJR線路脇の小公園にその歴史を説明する碑があるはずだ、と聞けばここも探索しました。近所の洋品店のご主人がわざわざ店の外に出て指差してくれます。このように思い入れの対象になっている鉄道だと納得していると、軽便を懐かしむ寄稿文が、15日付け静岡新聞の「元気発見団」特集紙面に出ているのです。旧大須賀町出身の写真家大竹省二さんが、軽便が走っていた時代、そこにまつわる大切な記憶をつづっています。ていねいな描写です。
∋ 「裏庭の蜜柑畑の真ん中を貫くように長い煙突を持ったオモチャのような小さな蒸気機関車が走っていて」「この軽便鉄道の走る音と汽笛を聞くと、まだ見たことのない向こう側の世界が夢のように頭の中をかけ巡った」とあります。孤独だった幼時、「軽便の音をはるかに聞く度に、父の姿を追った」大竹さんは、軽便の駅跡などをたどると、「閉ざされた想い出が胸裏の底から湧き出て目頭が濡れる」と結んでいます。ファインダーを通して時代をとらえてきた人の、凝縮した思いを知りました。
∋ 人はそれぞれ、”原風景”を持っています。記憶と感慨を包み込んだそれを、時折り引き出してみると、人生というものがおのずと浮かび上がってくるということでしょうか。
(鮟鱇)
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