∋ 社屋の通用口を出るのをしばらくためらいました。猛烈な風雨で、傘は裏返しになり、一歩踏み出しただけで、ジャケットもズボンもずぶ濡れです。午前11時前だったか、視界を奪うような横なぐりの雨の中、国道を走ります。静岡市の安倍川はふだん、水量の少ない河川ですが、さすがに増水して濁流が中洲をあらっています。焼津、藤枝市を流れる瀬戸川でも、不気味な茶の水面が盛り上がり、激しく移動してゆきます。
∋ どうしても川の状況が気にかかります。台風13号北上に伴い、静岡県内も大雨となりました。自然は自ら語らない、などと哲学じみた教訓があるようですが、十分に雄弁です。河川は様相を一変します。治水対策が進捗し、氾濫はめったになくなりましたが、油断はできません。
∋ 16日に伊豆の国市で「狩野川台風を語る会」が開かれた、という記事を静岡新聞で読みました。昭和33年9月の惨禍から既に48年にもなるのです。未曾有の大水害を「想像を絶する、決して忘れてはならない、若い世代に伝えてゆかねば」との思いで、かつての被災者は出席していました。家ごと流されてゆく光景、生き地獄を体験した人々は、鎮魂の気持ちで振り返ったそうです。
∋ 幼い日、沼津市でこの災害史に残る洪水を体験しました。もともと低い地盤で水害常襲地区でした。それでも、いつもとは様子が異なることは体感していました。家族が畳を上げている先から、水位が上昇してゆきます。夜半、手漕ぎボートが地域を巡回しています。一家の柱は仕事で不在、留守をあずかる母親らと別れ、避難しました。2度と再会はないかも知れない、などと悲壮な気分だったことを鮮明に記憶しています。この体験は一種のトラウマ(心的外傷)となって、“水”への潜在的恐怖となったようです。
∋ 九州の知人にこの体験を話したことがあります。静岡県内では、昭和49年の七夕豪雨の被害が語られます。その後、地震への警戒とともに、水害が語られることは減った気がしますが、頻繁に台風の進路にあたる西日本では、今でも恐怖を共有の体験としているようです。天気予報の台風情報をにらみながら、雨戸に板を打ち付ける、ろうそくを用意する、飲料水の備蓄を確認する-などの対策を怠らない中高年者が多いといいます。
∋ この連休に来襲した台風では、九州で竜巻が起こったといいます。吹き飛ばされた屋根、倒壊した電柱や看板類、特急電車まで横倒しでした。市民の手で可能な対策だけで追いつくものとは思えない状況ですが、被災の記憶をとどめることは欠かせません。「想定外」はつきものです。どんな行動ができるか、常に問い直してゆく必要があります。
∋ 「狩野川台風を語る会」での「生き地獄だった」という言葉は重いものです。狩野川流域だけで死者・行方不明者約850人、被災家屋約6700戸と、記事の末尾にあります。体験を語り継ぐのが、最初の対策です。
(鮟鱇)