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2006年「Webコラム一灯」

 心の堰-小川国夫講座

2006/10/27

  静岡市中央公民館・婦人会館で開かれている婦人文学講座は、40年に及ぶ歴史があるそうです。藤枝市在住、芸術院会員の作家小川国夫氏が講義を受け持つようになってからもすでに30年、息の長い文芸活動です。小川作品はもちろん、作家の人柄に魅せられて受講している人も多いのではないでしょうか。

 

 ∋ 映像取材で講座をのぞいた日、テキストは短編の名作「ハシッシ・ギャング」でした。意表をつくタイトル、殊に「ギャング」にはインパクトがあります。普通は「悪漢の一味」でしょうが、ここでは小さな仲間たちといった意味のようです。きっかけは、小川さんのギリシャ、トルコ旅行でした。2つのグループが港町で再会した折、「アナザ・ギャング」と声を張り上げるのを聞きました。「ああ、あいつら」といった親しみを込めた言い方だったようです。英語独特の表現なのでしょう。

 

  「ハシッシ・ギャング」はつまり、薬(やく)の仲間たちです。幻聴、耳鳴りは薬の症状です。「幻聴を追う」主人公は、それを確かめに墓場に行きます。驚くことに、先客が5人いました。傾聴族は奇妙な共生をしています。人間の耳は、最も条件のよい場所を求める。だから主人公は、墓場へ出かけてゆくのです。「幻聴の世界へ降りてゆく」ためです。

 

  「薬をやる」ことを英語では、tripといいます。「心の中の旅にでかけ、さまよう」のです。小川さんは、ゴッホの糸杉の絵に言及しました。木が風に揺れる情景を描いています。病んだ画家の傑作は、南仏の風というとらえようもないはずの現象を表現しているといいます。幻覚というフィルタを通してモノが見える、これがトリップ感で、通常の倫理観からすれば立ち入り禁止のこの世界を文士は知りたいと思う…。

 

  小説では同病相愛の2人の奇妙な旅が描かれます。不明なことを放っておけない主人公の癖(へき)は、「心の堰きを切る」願望をはぐくみます。「現実の中にいる自分を忘れて別の世界へ入るためには、体の奥の掛け鉄(がね)がカチリとはずれなければなりません」と。

 

  リルケの言葉が引用されました。「ともにケシの実を食べた人でなければ、ともに人生を語れない」。恐ろしいだろうことは想像がつくが、入り込んでゆく世界を知りたい、そのためにハシッシの世界を徹底して描く。薬を読み解けば人間を読み解ける、薬に人間性の秘密がひそんでいる、と受講生に刺激的に問いかけました。今日は重い主題を突きつけた、と講演をしめくくっていました。心の深奥をのぞくのは確かに「重い」作業です。それなりの覚悟を求めます。

 

  1年で習熟する仕事もあるが、小説は1行書くのに10年かかってもうまくゆかない、と小川さんは言います。短編のすごみ、厳しさのことでしょう。日本文学伝統の短編はしかし、不振をかこっています。最近、名手と呼べる書き手が不在だと嘆く声が頻々です。

(鮟鱇)




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