∋ 静岡県袋井市のエコパスタジアム。選手控え室への通路で、後ろ姿を見かけ、つい「お疲れさまでした」と声を発しました。釜本邦茂さんは振り返りました。激しい運動の後の顔は、汗で輝いています。血色のよさに舌を巻きました。体型も引き締まっているように見えます。全盛時を知るファンには、懐かしいシーンのいくつかがたちまちに蘇ってきます。カマモト、62歳。
∋ 「ねんりんピック静岡2006」は佳境。街に会場への案内看板が立ち、選手移動の足となるバスにはキャラクターの絵が掲げられています。大会の総合開会式後のビンテージサッカーマッチを楽しみにしていました。往年の日本代表チームと静岡代表の試合です。サッカー王国を標榜する開催地静岡ならではの企画でしょう。かつてメキシコ五輪で銅メダルを獲得した釜本(背番号9)と杉山隆一(同11)の黄金コンビが実現したのでした。
∋ あの銅メダルは、成長途上の日本サッカーにとってエポックとなる偉業でした。Jリーグの発足、ワールドカップ大会への出場、日韓大会共催とリーグ戦突破などの節目は刻まれました。サッカー人気は、代表勢の活躍によって導かれてきました。その点では、「メキシコ」はまばゆいばかりの栄光とともに在り、杉山、釜本両選手の名は、スポーツの枠を超えて語り継がれてきたのです。
∋ 東京・駒沢オリンピック公園総合運動場へと観戦に通ったものです。ネットで検索すると、今は一部を残し廃止されたようですが、渋谷駅から玉川電鉄の電車(通称玉電=たまでん)でのんびり、大都会ものどかな空気がまだ残っていました。降車後、結構な時間を歩いたように記憶します。「駒沢」は、大学サッカーの聖地でした。人気も、今では想像できないほどでした。
∋ プロ、アマがまみえる天皇杯全日本サッカー選手権大会は当時から頂点でした。大型のエースストライカー釜本選手を擁する早稲田大学が、向かうところ敵なしとみえた東洋工業を下して優勝を決めた試合。国立競技場の熱狂はすさまじいものでした。その後久しく、大学が実業団チームを破ったという話を聞きません。大学対抗の早慶戦を見ようと、長蛇の列が千駄ヶ谷駅から国立競技場まで続いた光景など、今や単なる語り草かも知れません。
∋ 杉山さん、釜本さんともにビンテージマッチの代表チームを構成した顔ぶれに驚きます。桑原勝義、富沢清司さんらは静岡県勢。森孝慈、細谷一郎さん。船本幸路選手の果敢なセービングは日本リーグの華でした。迎え撃った静岡代表で最年長の橋本忠広さんは70歳になるとか。現在もトレーニングを欠かさず、ゲームにも出る、つまり現役だそうです。インタビューに首を突っ込んで聞いていました。かつてのライバルとの対戦、血潮が騒いだようです。
∋ 試合ではボールの供給役に徹していたようにみえた杉山さんですが、何と言っても闘士です。さすがの存在感でした。サッカーの魅力は、闘志のぶつかり合いです。シニアの世代になったから、闘志が陰るといったものではありません。根っから染み付いた本能なのです。よいゲームを堪能しました。
(鮟鱇)