∋ 書棚に埋もれていた、重量感のある本を取り出しました。はにかむようにほほえむ美しい女性の上半身が表紙に刷り込まれています。出版当時、大変なセンセーションを巻き起こし、手元の邦訳も確かベストセラーになったように記憶します。初版1992年、タイトルは、「ダイアナ妃の真実」です。
∋ 口絵、本文中に挿入された写真が印象的です。多くは遺族が提供した家族アルバムのようです。水泳、飛び込みなどスポーツに興ずる天真爛漫な少女です。赤い頬が際立つどこにでもいそうな乙女は、やがて現代のシンデレラ、世界で最も注目を浴びるアイドルになります。不幸という鎖につながれて……。
∋ 結婚式、ハネムーンの時すでに崩壊の予兆がありました。愛のない結婚生活、保守的な王室内での孤独。凄惨に押しつぶされていったアイドルは、摂食障害、自傷行為や自殺未遂に追い込まれてゆきました。その深い傷にさらに塩を塗るような、いわゆる王室ジャーナリストたちの毒牙。暴露本のねた、スキャンダルに飢えた集団に常に狙われていました。パパラッチのカメラも執拗です。
∋ 実にシンボリックな死でした。1997年8月31日、彼女の乗った車はパパラッチの追尾をかわそうと猛スピードで中央分離帯の柱に激突して大破し、かつてのプリンセスは、36歳の短い生涯を終えます。息を引き取る直前の一言は、「そっとしておいて」だったと伝えられました。パリの死。日本でも号外を発行した新聞があったことを思い起こします。それでも「ダイアナ-」には、彼女は犠牲者(victim)から勝者(victor)に変わっていったとの趣旨が記述されています。
∋ ゴシップの渦中にありながら、一人の女性として王室の因習に敢然と反旗を翻し、2人の息子を守り、自ら生きがいと定めた仕事に情熱を燃やします。ホームレス、エイズやハンセン病患者ら救いを必要とする人々の間に入り込み愛情を注いでいったのだといいます。地雷廃止運動への信念は、彼女を紛争の地に向かわせます。どんなキャンペーンより啓発に効果があったと言われたものです。
∋ 家族アルバムから分かるように、少女は惜しみない愛情に包まれていました。弟らと写真におさまった表情に屈託はありません。その平凡な安寧が庶民性につながり、若い日、保育士の仕事を選択させたのかも知れません。いまだに世界が彼女を惜しむのは、弱者に尽くすことの意味を身をもって教えたからでしょう。それだけに不条理な死でした。
∋ バラの花にたとえられた“世界のプリンセス”の死因を調べていたロンドン警視庁が捜査報告書を発表し、英情報機関などによる謀略説を否定し交通事故だったと結論づけました。悲劇から既に9年以上経過していますが、その記憶は拭えません。彼女の苦悩が癒えていることを願う人は多いはずです。
(鮟鱇)