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2006年「Webコラム一灯」

 母なる言葉-芸術家の支え

2006/12/22

 作家の小川国夫氏は、若い日に洗礼を受けています。日常よく手にするというフランス語訳の聖書を見せてもらったことがあります。どこへ行くにも持参した聖書は、いかにも年季もので、角はぼろぼろにすり減っています。座右の書にしているのはもちろん、聖書をテーマにした作品を手がけ、共同訳にも取り組みました。


 新訳にはすぐれた喩(たとえ)話があり、文学作品ともいえるといいます。聖書中の寓話には文学的な表現も多いのだと、ルカによる福音書を朗読してくれました。「放蕩息子の譬え」です。放蕩を重ね無一物になって戻った息子を迎える父の愛情は、実に感動的です。この朗読は、近く刊行されるDVDブック「故郷を見よ 小川国夫文学の世界」に収録されています。


 小川文学の生成に欠かせないのは、肉親、殊に”母”の存在です。肉親としての母はもちろん、母なる存在としての風土、言葉も重要な要素です。故郷の風土とそこに展開される物語を紡ぐ小川さんは、母親の言葉を十分聞き分けることができなければ、土地のことを書く作品はあり得ないと暗示的に語ります。それを例えば、焼津の言葉には海の音がする、などと表現します。


 小川さんにとって、漂泊の時代から一貫して、最大の理解者であったのが母のようです。病弱だった幼年のころ。静高、東大と進みながら欧州放浪の旅に出てしまう。帰国後も復学せず職にも就こうとしない。小説を書く志と覚悟を抱いて、苦悶の日々を送る息子を、母は見守り続けたといいます。新聞連載を執筆中、1回分を書き上げるのに徹夜をすると、母はそのことを知っていて、さりげなく話題にする。


 自作の朗読をお願いしたところ、小川さんが書棚から手にしたのは、「ハシッシ・ギャング」所収の「あの夕焼け、倒産の家」でした。庇護者としての母を頼りに、夕日の向こうの世界に思いを馳せる幼い日を回顧する象徴的な作品です。「黙っているお袋」では、お手玉を巧みにみせる様子を描いています。小川さんは、作品には出てこないかぞえうたの続きを見事に復唱する記憶を披露してくれました。


 長編「悲しみの港」では、作家を目指す主人公に寄せる両親や実家の周辺の人々らが描かれ、それぞれの思いが語られます。作家の自立に特に支援を惜しまないのが実弟です。普通なら家業を継ぐべき長男は、足元が定まらない。それでも兄の作家としての能力を信じ、その成長のために自らが商売に奔走し創作のための環境を整えることに骨身を惜しみません。芸術の完成の陰には、理解ある支援者の存在がある。「放蕩息子の譬え」が心を癒やすシンボリックなエピソードに思えます。                            (鮟鱇)                    




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