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2007年「Webコラム一灯」

 新井満と「千の風-」

2007/06/22

  もう何年も会っていなかった知人の訃報を静岡新聞で見て、葬儀に参列しました。弔辞に続いて、故人と従兄弟だという白髪の紳士が祭壇に進み出ました。「歌でおくりたい」と、遺影に向かって、最近頻繁に耳にする「千の風になって」を朗々と歌いだしたのでした。

 

  作者不詳とされる英語の詩「Do not stand at my grave and weep」に、小説家・シンガーソングライターの新井満さんが日本語の訳をつけ自ら歌った私家版を、妻を失った友人に贈ったのがメディアで紹介されたそうです。テノール歌手の秋川雅史さんらが続き、ブームになりました。ネットで検索して、訳詩を読んでみました。死者が、残された人に墓の前で泣いてはいけない、と語りかける。深く悼んでいる生者を、亡くなった人が慰めるという内容に意表をつかれますが、どうしても寂寥感を読み取ってしまいました。

 

  新井満さんの小説作品を久々に書棚から取り出してみました。野間文芸新人賞受賞作の「ヴェクサシオン」、芥川賞を受けた「尋ね人の時間」の単行本の奥付を見ると、既に20年経ています。当時、繊細さがにじむさりげない文章にひかれた記憶があります。めまぐるしく動く広告業界に身を置き、静謐の環境ビデオを制作していた多才な表現者の筆力に敬服したものでした。

 

  「ヴェクサシオン」は美しい小品で、タイトルは、仏の作曲家エリック・サティの曲名にちなんでいます。いらだち、苦悩といった意味で、曲調とは全く異なる曲名なのだと、新井さんはあとがきで触れています。新井作品のヒロインは、透明感のある不思議な存在で、つかみどころがありません。男性の主人公は、一種のドロップアウトで、既成の枠、価値観を外れた空間に棲息している、といった印象です。

 

  水彩画の凄みとでも言えるのではないでしょうか。薄い絵の具ですくい取られた淡水の流れの底にひそむ澱(おり)のような基調です。父の死(「ヴェクサシオン」)、誕生前に絶たれる命(「苺」)、家族の崩壊や不能(「尋ね人の時間」)など、いずれも絶望をはらんでいるのですが、それらが強調されることはありません。淡々と語られるだけに、より深く胸にしみ込んでくるのです。

 

  「尋ね人-」は、主人公による写真集の題で、どんな中身かといえば、何でもない都市の風景を気の向くままに写したモノクロームであり、共通点は、どんな写真の風景も無人だということのようです。寂寥の荒野を思い浮かべるのですが、静けさは、重要なファクターになっています。言葉による会話の次に沈黙による会話という段階があるかもしれない、という文章が出てきます。耳の不自由な女性に語りかける、あるいは、別れた妻に引き取られた娘の謎めいた物言い。物理的な「声」を超えて、伝わってくる心情があるのです。

 

  静寂の言葉、それを「風」に置き換えてみます。「尋ね人-」のあとがきに新井さんは、「花を尋ねて旅に出たまま行方不明になってしまった人とは、恋人でもなんでもない、実は自分自身のことではなかったのか」と記しています。その自分の歩みがしかし、後ろ向きであるとは言っていません。そんな風に小説を読み直した後、「千の風-」の歌詞を眺めます。「静けさ」が求められる時代だ、とは想像します。

(鮟鱇)




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