∋ 静岡県藤枝市在住の作家小川国夫氏は、大井川河口を中心とした駿河湾西岸の風土に根ざした名作を多く書いてきました。「陸地が果てるところへ来ると、私はいつも同じような気分が湧いてくる。条件反射といってもいいだろう。妙な言葉でいいのなら、河口反応、とでもいいたいところだ」(「二つの河口」)と記しています。海は、小川文学のキーワードの一つと言えると思います。「私の文学観」所収のインタビューでも、海と文学のかかわりに言及しています。
∋ 小川氏と、故立原正秋氏の交友はつとに知られるところです。2人の作家は、世に出る前から、魂が共鳴するかのように互いを訪ね合っています。深酒はもちろん、料理の薀蓄をかたむけ、散策をともにします。静岡新聞社刊のDVD文学アルバム「故郷を見よ 小川国夫文学の世界」にも、鎌倉の立原邸でくつろぐ2人の、いかにも文士らしい写真が載っています。文人の交わりはさまざまなエピソードにいろどられていますが、ギリシアをめぐるやりとりを、小川氏は「よすが」というエッセーで振り返っています。
∋ 藤枝の小川邸に2晩泊まっていった立原氏とともに、焼津の漁港に行った際、小川氏が、この辺はギリシアに似ているといったのに対し、立原氏はそんなはずはないから言葉の真意を聞いてみよう、と雑誌に書きました。この話を紹介した後で小川氏は、「確信は勿論ないが、ギリシアで私の見た海岸が、焼津のそれに似ていないこともないと思う。…………そこを愛した小泉八雲は、太平洋岸では、浜名湖や逗子が気に入らず、焼津が好きだったというが……。」と続けています。
∋ 水泳を愛する八雲にとって、遠浅の海は物足りず、浜から一気に急深になる焼津の海が気に入っていたという逸話は、焼津市立図書館の隣接地に最近開館したばかりの小泉八雲記念館の展示資料でも指摘されています。と同時に八雲は、この土地の人情に魅せられていたともいわれます。
∋ 曇天に海岸線もくすんで見える日、焼津市の“八雲通り”を歩きました。といっても最初はそれと判然しないまま、観光地図を手に潮の香の街路に入り込んだのです。車の行き違いがやっとの狭い道に、旧港側から小川港の方角に向かいました。八雲滞在の家跡を目標にしていましたが、分かりませんし、通行人も見当たりません。ものの数分、通りも終わるころ、高齢の女性に会い、尋ねると、「それ、あそこの床屋さんのすぐ向こう」と指差します。50メートルほど戻って、やっと案内標示を発見しました。くだんの家の壁に、美術展のポスターが貼ってあるのが印象的でした。
∋ 通りに面して軒を連ねる家々にかつての趣が残っているのかは知りません。泳ぐことに気がせく八雲が、もしかしてここから浜へと走って行ったのか、などと想像します。半世紀ほど前、この辺りでは、防波堤と消波ブロックに波が打ち寄せ砕け散る風景がみられたと聞きますから、八雲が泳いだころとは既に様相を変えていたのでしょう。恐らく、もっと風情があったはずです。
∋ ギリシアを訪れたことはありませんが、焼津との類似を想像するとすれば、浜のイメージでしょうか。八雲=ラフカディオ・ハーンはギリシアに生まれましたが、決して恵まれた境遇とはいえず、精神の漂泊の末に日本に安息の時を得ました。小川氏も、青春の苦悩をヨーロッパ放浪に刻しています。先の見通しもないまま、作家になる志を胸に故郷藤枝に戻り、駿河湾西岸の風土に身をさらしたのでした。「よすが」の文章を思い起こしながらの八雲通りでした。
(鮟鱇)