∋ 図書館めぐりを趣味にしていますので、文化センター併設の焼津市立図書館と通路で結ばれる「小泉八雲記念館」の完成を心待ちにしていました。開館間もない日曜、早速訪ねてみました。こじんまりした平屋の建物で、採光が行き届いています。遺品や関連資料の展示が中心で、全集などを収納する書棚はまだ、すいています。
∋ エントランス近く、山陰・山陽地方をエリアとする地方紙の山陰中央新報、中国新聞の紙面が壁に掲げられています。八雲関連の寄稿記事などですが、ジャーナリスト、作家ラフカディオ・ハーンの足跡をしのばせます。同様に、海と水泳が機縁になったという焼津滞在を象徴するかのように、愛用の望遠鏡と木製のペン入れが展示されています。遺品の中でも特に印象深く感じました。
∋ リーフレットをめくりながら館内を回ります。八雲は焼津で、6歳年少の山口乙吉の家に逗留します。働き者の魚商人で「神様のような仁」と表現した受け入れ役のことを、八雲は「乙吉サーマ」と親しみを込めていたそうです。乙吉はといえば、この著名な文筆家を「先生様」と呼んで敬った、と記されています。
∋ 乙吉だるまのエピソードが紹介されています。自らも片目を失明している八雲は、片方だけ目の入っただるまについて、子どもが叩き出したのか、と尋ねます。これに応えて乙吉は、大吉の日にもう一方の目も入れる、と話すのです。さりげないやりとりですが、そこはかとない配慮、思いやりが感じられます。
∋ 恵まれない境遇を経た八雲にとって、穏やかな家庭は渇望の対象だったのでしょう。展示資料からも、子どもに注ぐ愛情の深さが分かります。さらに彼の存在を支えたのが、妻セツでした。家庭人八雲にはもちろん、作品を創造し残す証言者としての彼にとって、妻は媒体の役割を果たしているのです。日本の民俗、文化を“八雲の世界”に昇華させてゆく過程で、セツの存在は欠かせないものでした。
∋ 平仮名中心に書かれた彼女への書簡、もちろん日本の文字は行が斜めだったりして、一見稚拙にもみえますが、書き出しには引き込まれます。小ママ、小さい可愛いママさま、と呼びかけています。母に、あるいは姉に、妹に寄り添うているかのようです。そのママが語る物語が、洋の東西を超越した知性によって結実したのでしょう。彼が、日本に安息の日々を得た意義は大きいのだとあらためて感じます。
(鮟鱇)