∋ もう15年余も前、西アジアの産油国を訪ねたことがあります。国王の誕生日を祝う建国記念日を取材しました。国土の多くを占める不毛の土漠。若い国家は、石油のもたらした富により急速な近代化の途上でした。印象深かったのは、人懐こい子どもたちの明るさでした。サラーム(こんにちは)と、大人びた握手を求めてくるのです。
∋ 建設が進む近代ビル群の間のスーク(市場)がひしめく狭い路地は、彼らのグラウンドでした。風通しのよい民族服ディシダーシャにサンダルといったスタイルで、サッカーに興じています。ゴールネットやポストはなく、ラインも引いてありません。それでもボールひとつ、無心に走る姿に、サッカーという球技のユニバーサルな人気をうかがうことができました。平和そのものの光景は、国の活力への昇華を予想させました。
∋ イラクのサッカーといえば、思い起こすのは、いわゆる「ドーハの悲劇」です。ワールドカップ米国大会のアジア地区最終予選での日本代表の最終戦。ロスタイムに同点とされ、本大会出場がついえ去った因縁の試合の相手がイラクでした。アジアの強豪チームでしたから、イラク国内での国民的な熱狂も容易に想像がつこうというものです。
∋ このニュースのあまりのむごさには、息をのみました。先ごろ開かれたサッカーのアジアカップでイラクの代表チームが、国難のなかで奮闘しました。準決勝で、PK戦の末に韓国を下して決勝進出を決めたのは、国民にとっての大変な慶事でした。人々が祝賀のために街に繰り出すのも当然です。車爆弾によるテロが、その人々を襲ったのです。巻き込まれて少なくとも50人が死亡し、130人以上が負傷したという外電が、静岡新聞にも掲載されていました。
∋ 犯行グループや動機は不明といいますが、同胞に向けられた狂気でなかったことを願うばかりです。血みどろの戦いに、いつ終止符が打たれるのか。先の見通しはありません。絶望のただ中にいる民族に、一筋の光明ともいうべき知らせが届いたのに、一瞬のうちにそれは凶報へと変わってしまったのです。戦争の現実が突きつけられたのでした。
∋ イラク代表はこの悲劇にも屈せず最後まで健闘し、ついに優勝を飾る偉業を成し遂げました。首都に凱旋し、警備が厳重な米軍管理区域で祝勝式が行われたと続報の外電は伝えています。式典では、テロで息子を失った女性に選手らがトロフィーを手渡す感動の場面があったようです。でも記事の中でさらに注目したのは、決勝で殊勲のゴールを決めた選手ら3人が身の危険を訴えるなどして帰国しなかった、というくだりです。同じアジアの国々が人気スポーツで追うボールはひとつです。しかし相まみえる選手たちの抱える背景は非情なまでに異なるのです。
(鮟鱇)