∋ 第89回全国高校野球選手権の静岡県代表・常葉菊川は、春のセンバツの覇者で、バントをしない徹底的な強攻策が看板になりました。大型打線の打棒で甲子園を勝ち抜いた静岡県のチームといえば、今もって語り草になっているのが、昭和48年(1973)の静岡高校です。
∋ 資料庫で全3巻の「静中・静高百年史」のⅡ(昭和2-52年度)を探し出しました。目当ての「昭和48年度」には、「甲子園準優勝」の項が設けられています。迫力の打線を擁して全国の野球ファンに強い印象を刻んだチームの戦跡を校史にたどりました。さまざまなシーンが蘇ってきます。今年と同様、静岡県予選は雨にたたられ、静岡代表決定は全国最後だったとあります。6-2、14-3、8-1、10-0、7-0とコマを進め、決勝も5-1でした。評判通り打線の活躍が光っていたのでしょう。
∋ この年の選手権は、ファンであるかのいかんを問わず関心を集めました。怪物と呼ばれた豪腕江川卓ら、いわば超高校級の有名選手がひしめいていたのです。その江川ですら頂点に至るずっと以前に涙をのんだ熾烈な生き残り戦で、静高は10-0、7-0、5-3、6-0と勝ち上がりました。全国制覇を疑う人は恐らく静岡県内にはいなかったのではないかと思わせる強さでした。当時、静岡県高校球史で最強と目されたチーム。それでも優勝できませんでした。
∋ 立ちはだかったのは、西の古豪広島商業でした。伝統的に緻密な野球で知られ、有力校を退けてきました。決勝は、校史によれば、「力の静高対技の広島商」のぶつかり合いとなりました。初回に2点のリードを奪われた静高が8回に追いつくなどがっぷり四つでしたが、9回、劇的な幕切れが待っていました。広島商のサヨナラスクイズでした。2-3で惜しくも敗れた静高。しかし、決勝にふさわしい見ごたえのある好試合でした。広島商のマウンドを守り抜いたのは、まさに技巧派を思わせる、冷静で飄々としているようにさえ見えるエースでした。
∋ 猛暑日が続き、「甲子園」が佳境の8月15日、静岡新聞朝刊社会面の訃報欄に驚きました。佃正樹さんの名がありました。「あの広島商」のエース佃投手です。13日、東京で52歳の若さで亡くなっていました。広島が“地元”ですから中国新聞のサイトを開いてみました。「甲子園優勝投手の佃さん死去」の見出しがあります。達川捕手とバッテリーを組み、金光主将とともに広島商の隆盛を支えた佃さんは、ライバル江川投手と同じ法政大学に入りました。その後の消息は知りませんでしたが、掲載された顔写真から、34年前当時のマウンドの表情が浮かんでくるようでした。痛切な夏です。
(鮟鱇)