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2007年「Webコラム一灯」

 横浜、呼吸する風景

2007/08/30

   静岡県美術家連盟が開いた写生旅行作品展を鑑賞しました。会員らが、6月に横浜市を訪れ、数時間、町に浸って思い思いの対象をとらえたといいます。横浜の“今”を象徴する場といえば、「みなとみらい21(MM21)」地区です。ランドマークタワー、ベイブリッジ、赤レンガ倉庫などが、水彩技法中心に描かれています。再開発で誕生したMM21は、エグゾティシズム(異国情緒)が濃厚な近代の港町・横浜の代名詞となりました。

 

   運河が入り組み、黒く濁った流れが街中ににおいを発散し、鉛色の空が低く覆う港には伝馬船や艀(はしけ)が間断なく行き交う。猥雑さに支配されたようなかつての都心は、老朽ビルが無秩序にひしめき、迷宮のごとく抵抗しがたい磁力を持っていました。この町を背景にした三島由紀夫の中篇小説が「午後の曳航」です。サラ・マイルズ主演で映画化もされた作品の原作は、海外での評価が高かったのが記憶されます。裕福な未亡人と船乗りの恋愛、憧れの男が陳腐な人物だと知り裏切られたと殺意を抱く少年の残虐な犯行が物語の軸になっており、神戸の連続児童殺傷事件のころは時代を予見した小説として話題になりました。

 

   猥雑さとは対極をなす「横浜市中区山手町の、谷戸坂上のこの家」の女主人は、舶来洋品店の経営者であり、港かいわいの上流の暮らしを体現する人物ですが、町の空気にまぎれて浮遊するような若い船員に惹かれます。この都市でならありうるかも知れない遭遇なのです。未亡人の息子の少年はといえば、船を見学するのに船乗りにありったけの知識をぶつけるほどに詳しい、港の申し子です。少年仲間の首領の、一種異様な早熟ぶりとともに、物語には不気味な予兆が漂います。

 

   三島由紀夫の取材は、緻密さを極めたと、よく指摘されます。取材ノートの展示を以前見たことがありますが、律義さと完璧主義の趣を感じました。「午後の-」でも、船内の描写など、専門用語の一つひとつにもこだわっていたのが分かります。「船首は限りなく高く、恍惚とした薄い顎のような形に仰向き、その頂きに緑地の社旗がひらめいていた。錨は高く引き揚げられ、錨穴のところに大きな黒い鉄いろの蟹のようにとりついていた」といった凝った文章が、随所にみられます。

 

   若くして才能を認められ、頻繁にノーベル賞候補に擬せられるなど日本を代表する国際的な作家でした。能、歌舞伎など伝統文化、古典への深い造詣を基礎にしながら華美な文学世界をつくり出しました。一方でギリシア文明への傾倒でも知られるように、越境する創造者として、“知られざる日本文学”の海外での紹介の先導者ともなりました。その背景に、少壮作家時代の船での世界一周旅行があったのでは、と想像します。海、港、船舶、島、潮騒などは、三島作品に欠かせない構成要素となっていったのでした。

 

   土地に存在する事物、土地が持つ空気は、創作家の研ぎ澄まされた視線により、身内にしかととらえられ、芸術作品の中で精神世界へと再構成されてゆきます。風景は創作を通じ生を得て、生き物そのものの呼吸をするのです。当然、固定することなく心の在りように従って千変万化を遂げます。文学であれ、絵、写真、あるいは音楽であれ手法を問わず、風景は無機質な対象から表現者の精神を反映する立体的な地図になるのだと思います。異常な形で自らの生に幕を引いた天才作家は、祖国が経済成長に貪欲に走る姿を忌み嫌いました。「午後の-」に写し取られた当時の横浜の風景は、黄昏の残像だったということでしょうか。

(鮟鱇)




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