∋ 2001年9月11日の米中枢同時テロから、もう6年になります。あの日、テレビ画面に飛び込んできた映像の衝撃は今もはっきり記憶しています。夜、暗い幹線道路を出社するために急ぎました。冷戦が終わり大国間の角逐は緩和しつつあったものの、地域紛争は逆に激化するとの予測がありました。懸念が突然現実化したのですが、それにしても巨大なビルに航空機が突っ込むという形で突き付けられたのでした。
∋ 死者数の単位は、一時は「万」といわれました。全容が判明する過程でも、「千」の重い数字が出てくるのでした。悪夢の中で、計3000人以上が命を奪われたのです。「戦争」が、近代のメガロポリスの繁栄の象徴のような中枢の構造物に対して仕掛けられました。米国という、唯一の超大国への憎悪が闇ではぐくまれ、テロとして白日のもとに曝されたのです。政治の世界で「テロとの戦い」が叫ばれ、メディアではこの言葉が繰り返されました。その終わりなき戦い-。
∋ 「セプテンバー・テープ」という04年制作の米映画を鑑賞しました。同時テロの翌年、取材のためアフガニスタン入りしパキスタン国境で消息を絶ったドキュメンタリー映画の監督が残したテープを再生してゆくという手法の、1時間半ほどの作品です。特別な技巧や脚色のない映像はしかし、圧倒的なリアリティーとやりきれなさをもって迫ります。
∋ 首都カブールの治安はひどく、恐怖と不信が渦巻いています。サッカーに興ずる子どもたちの笑顔がかろうじて救いとなってはいるものの、カラシニコフがあふれ、銃弾が飛び交う町で、カメラを回すことは命がけです。アルカイダの首魁ビンラディン容疑者を追う試みは、彼の支持者の敵意に満ちた監視の真っ只中で進行します。それでも、稀代のテロリストにかかった賞金を狙う人物が所有していた地図を頼りに、ミサイルと銃弾の光のみが視認できる漆黒の山塊に分け入ります。
∋ ドキュメントを見ている錯覚にとらわれます。現実感の底にひそむ疑問は、なぜそうまでしてアフガンを目指すのか、なぜビンラディン容疑者を追うのかということです。カメラとボイスレコーダーに向かって、「日記代わり」に語る彼は、大切な人を9.11で失っていました。報復への絶ちがたい渇望。国と国との、地域間の、あるいは宗教間の対立を露呈させたテロは、市民の心にも絶望と憎悪の深い澱となって残ったのでした。
∋ 同時テロより前に参加したパック旅行で、砂漠地帯を行く貸し切りバスは、前後を護衛されているのだと聞かされたことがありました。警察車両を目にすることはなかったのですが、テロリストは獲物を追うように、照準を絞っているかもしれない。観光客は、テロの効果を宣伝する格好の標的なのだと、心底、恐怖を抱きました。
∋ 同時テロの後、日本国内でも空港のチェックが格段に厳しい時期がありました。2年ほど前、確かロンドンでテロが起きた直後でした。これも外国の空港での手荷物検査でペットボトルが出てきた時の職員の鋭い目つきが忘れられません。一切の弁明を拒むような威圧的な対応にこそ、テロリストがもくろむ「恐怖の連鎖」がありました。イラクとの戦争は泥沼化し、出口が見えないようです。洋上給油のための法律の成否が“政局”になる気配です。同時テロ6年、重苦しい秋です。
(鮟鱇)