∋ 古書店で、米作家ハーマン・メルヴィルの小説「白鯨」(阿部知二訳)を見つけ購入しました。筑摩世界文学大系(全88巻)の「36」所収です。箱入りで重量感があり、装飾を排した装丁も気に入りました。大作ですから、3段組みでも約350ページあり、最近の書籍に比べれば活字も随分小さく感じます。
∋ 「凶暴な怪獣を三大洋に追いまわす」壮大な叙事詩です。解説にもある通り、この作品でメルヴィルはシェイクスピアやドストエフスキーにも比肩する文学史の巨匠になったのでした。悪の権化なのか逆に神なのか、象徴的な存在である巨大な鯨モビー・ディックと、憎悪にとりつかれたエイハブ船長の死闘を描きます。難解な作品ですが、銛打ちのシーンなど、すさまじい臨場感に圧倒された記憶があります。グレゴリー・ペック主演で映画化され、これも名作として銀幕史に刻まれました。
∋ 自宅に届いたメール便に、世界文学全集の購入予約を促すPRパンフが入っていました。出版社の創業120年の記念企画と銘打っている通り、全24巻の大型出版です。併せて「日本の歴史」全16巻の案内もあります。「全集」か、とつい“郷愁”をおぼえました。以前、書店の棚には、世界・日本ともに出版各社の文学全集が鎮座していたものです。最近は、発行点数が膨大で入れ替わりが頻繁ですから、スペースを食う全集類はすっかり姿を消しました。図書館の書架を思わせる壮観ぶりに圧倒された頃が思い起こされます。全集に収められている作家、作品群には、概して「はずれ」がありませんでした。それだけ評価が定まっていたということでしょう。
∋ 最も読書に親しんだのは高校生時代、国鉄(現JR)での電車通学(汽車通)車中です。グリーンの箱と表紙、ビニールのカバー付きの河出版世界文学全集がもっぱらでした。久々に書棚から数冊取り出してみました。第一集全55巻の「一」はシェィクスピアの「ハムレット」と「リア王」、「二」はゲーテの「ファウスト」といった具合です。同様、第二集全25巻の「一」はボッカチョの「デカメロン」、ちなみに「白鯨」は「九」に入っていました。合わせて80巻にも及ぶ全集を読破しよう、などと不遜なことを考えたのですが、当然、かないませんでした。埃をかぶり既に色褪せた緑の箱20冊ほどが今も残っています。とても捨て難いのです。
∋ 「本の旅人」という冊子10月号の巻頭に作家の伊岡瞬さんが、「娯楽としての書店通い」というエッセーを書いています。「……昭和五十年台前半あたりまでに少年少女時代を過ごした世代には『娯楽としての書店通い』という体験があるのではないだろうか」。伊岡さんは、小遣いが少ない中で本を買うまでの冒険、立ち読みの楽しみ、店主とのささやかな“攻防”の思い出を記しています。懐かしいのは、貸し本です。少年雑誌など購入するのは無理でも、借りて読むことができました。書店員が自転車の荷台に網のついた赤い籠を載せて貸し本を運んでくれる、回収にやってくる。いくら払ったのかも覚えていませんが、確かに本は「娯楽」の首座を占めていました。
∋ 新聞の学芸欄などによると、出版界の珍事(?)は、名作の新訳やベストセラーの復刊などが相次いでいることのようです。殊にドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」の5巻にもなる新訳文庫が数十万部も売れているのが象徴的な“事件”に挙げられています。曰く、団塊の世代が青春時代に感動した大作・名作を再読、再挑戦している……。と同時に、「本」という形式、具体的な形にこそ中身が宿るという原初的な事実が見直されているのかも知れません。手軽で迅速に入手できる一方、いともあっさり情報が費消されてゆくネット時代に、紙への印刷という形式で知識や感情が伝達される出版が価値を蘇らせているのです。実際、人気のケータイ(携帯)小説を横書き書籍として出版すると、大ベストセラーにもなるというのですから。
∋ 学習指導要領の改定作業を進めている文部科学省が、高校の国語科目を再編して、読書や日本の言語文化を学ぶ科目の新設などを盛り込んだ素案を中教審の部会に提示して了承された、という記事が先ごろありました。目標を「生涯にわたって日常的に読書に親しむ態度をはぐくむ」としているといいます。と正面きって迫られると、いや読書などというもの、敬遠したくなるのも不思議です。読書の秋、読書週間かぁ…。
(鮟鱇)