∋ 記憶は定かでありませんが、若い日の研修で、首相官邸の官房長官会見を傍聴したのだったと思います。藤波孝生氏が、淡々と応答していました。政治家といえば、あくの強さをイメージしていましたが、俳人として知られる藤波氏は、穏やかで清廉という評判通りに見受けられました。宰相候補に擬せられることもあった中曽根内閣の大番頭はしかし、リクルート事件で起訴され有罪が確定したのでした。政治家が身ぎれいで貫き通すことの難しさを想像しました。華やかな言動、行革などで長期政権を率いた総理・中曽根氏とコントラストをなす地味な文人政治家は、74歳で亡くなりました。訃報の扱いは、どの新聞も大きなものでした。
∋ 静岡新聞夕刊社会面の記事を眺めながら、防衛商社との癒着を問題視されている守屋武昌前防衛事務次官の証人喚問のテレビ中継を視聴しました。「わたしたちがイラクやインド洋で汗を流していた時、次官はグリーンの上で汗を流していたのか」。現場の自衛官としては、やりきれない思いだったでしょう。つい先日までのボス、政府委員として答弁に立ったこともあるでしょう、自信に満ち傲慢にもみえた庁・省のエースがこうべを垂れているのです。
∋ もう随分以前の映像が焼きついています。衆人環視の委員会室。極度の緊張で手が震え、満足に署名できない証人でした。守屋証人は、金色のボールペンでしょうか、すらすらと署名、捺印しているようでした。防衛トップの不祥事を問わなければならない喚問を、特別委の委員長は、「法案審議に費やさなければならない貴重な時間を割くのだ」と苦々しげに指摘していました。
∋ 情けない、嘆かわしい。質問者の共通した怒りでした。「年に20回以上から30回、5年で100回超」。あっさり認めた過剰なゴルフ接待。10年なら、その倍か。回数もさることながら、正体を隠すことを薦められ、ゴルフバッグにつけるタグ(札)も偽名だったそうです。疑念を抱かれる関係だったことを自覚していたからこその工作でしょう。
∋ 自衛隊員の倫理規定とりまとめの中心人物だった、倫理監督官の立場にあったことも、との指摘でした。調達、契約など職務にかかわる追及は物足りず、便宜を図ったことは一度もない、と本人は否定していましたが、「おねだり次官」などという表現が生まれただけでも国防への信を揺るがし、職を損ねたことになります。
∋ 藤波氏の死亡記事には、政界からの引退表明時に心境を詠んだ句が紹介されています。「晴ればれと梅雨明けここに四十(しじゅう)年」。このような心境に立ち至るのは至難のことと思います。「粗にして野だが卑ではない」という書名がありました。卑でないことこそ、公人の要件でしょう。これが禊(みそぎ)でしょうか。すっきりしない喚問でした。「鬱うつと秋寒(さむ)ゴルフ200回」とでも皮肉るのが、精一杯です。
(鮟鱇)