∋ よく使用する「学研漢和大字典」で「言部」(ごんべん)をあたってみます。当用音訓ゲン「言行・失言」、ゴン「言語道断・伝言」、いう「言う・物言い」、こと「言葉・寝言」などと出てきます。「言行」=いうことと、実際に行うこと、「言責」=自分が述べたことに対する責任、「言動」=言語と行動、ことばとふるまいのこと、「言質」=のちの証拠になる約束のことば、「言談」=さかんに話をすること……といった用例を眺めながら、07年末の日本の暗澹たる風景に重い気分になります。
∋ 基礎年金番号に未統合で、いわゆる「宙に浮いた」年金記録約5000万件の名寄せが極めて困難な状況にあり、2割近くに相当する約945万件が統合できそうもないというのです。これだけの数が将来にわたって特定が難しいというのは、社会制度の信頼にかかわる深刻な事態です。何をよすがに生きてゆくか、という問題なのです。
∋ 政府がこれまでさんざん流してきたキャッチフレーズ、あれはどうなるのでしょうか。「最後の1人、最後の1円まで確実にやる」というのが、担当大臣・舛添要一厚生労働相の言でした。自ら属する組織をめったぎりにして、おおむこうをうならせる。さっそうたるヒーローを気取る。それは本人の勝手ですし、最近の政治はこうしたパフォーマンスが唯一無二の評価基準のようですからよしとします。ただ、大見得をきった御仁が、同じ舌で「エンドレスだ、できないこともある」とおっしゃるのです。なおかつ、恥じることがない。国民は愚弄されているのではないでしょうか。口が滑った、勢いにまかせてしゃべった、言い過ぎたと、要人たちの言い訳は能弁です。
∋ 選挙の間はやります、できますの大合唱。さんざん騒いでおきながらのこの惨状に、総理自身が、「公約違反というほどおおげさなものなのかどうか」とのたまう。政治家に遵守を期待すると腹も立ちますが、彼らの「公約」など所詮その程度のものでしょう。それにしても言葉の軽さといったらありません。それこそおおげさなのかも知れませんが、日本に忍び寄る衰退の影を象徴するのが、日本語の劣化だと思います。暴言、放言、失言、迷言いうに及ばず、虚言、食言なんでもありで、残るは言葉の空虚のみです。物事を何でも単純化し、深い思索を軽視する風潮がはびこり、感情のままに行動する、結果についての予測が働かない。こうして文化の底が浅くなってゆけば、子どもの学力が低下するなどは当然のことです。
∋ 広辞苑をひきます。「言霊(ことだま)」=言葉に宿っている不思議な霊威、とあります。日本はかつて、「言霊の幸ふ国」でした。「言葉の霊妙な働きによって幸福をもたらす国」だそうです。今は、「言の葉の朽ちる国」ではないか。再び、漢和大字典。口に出した言葉などあっさり反故(ほご)にされる、「言語道断」=話にもならない状況なのです。「言面」=ことばと顔色、「言貌」=ことばと、かおつき、などというのもありました。自ら語る言葉に誠実でない人は、面相にそれが出る。
(鮟鱇)