∋ 東京に暮らした時期にも訪れたことがなかった北区田端に足をのばしました。区の文化振興財団が運営する「田端文士村記念館」を知ったからです。JR京浜東北・山手線田端駅北口前、徒歩数分に思いのほか立派な施設があります。明治中期、上野に東京美術学校が開校以来、多くの文士芸術家が移り住んだ地として知られ、その足跡をとどめるため文化事業として整備してきたようです。
∋ 書棚でほこりをかぶっていた芥川龍之介全集を引っ張り出し、上京の車中で「鼻」を読んでゆきました。“長さ五六寸、上唇の上から顎の下まで下っている”長い鼻の持ち主、僧侶禅智内供の物語は、若くして自ら命を絶った天才作家の名作としてあまりに有名です。記念館でたまたま開催中だった「芥川龍之介・多様なる生 -田端時代の作品と交流-」展にも、「鼻」冒頭部分の直筆原稿複製が展示されており、目にすることができました。
∋ 古い知人の文学研究者が送ってくれた著書を読みました。「芥川龍之介と腸詰め(ソーセージ) 『鼻』をめぐる明治・大正期のモノと性の文化誌」(荒木正純著、悠書館)は、タイトルから想像がつくように、異色の研究書です。著者あとがきによれば、これまで「鼻」は、主人公の心的風景の変化への関心から論じられてきました。表面のユーモアや諧謔の根底にひそむ懐疑精神、諦観、あるいは虚無といった視点です。ここでは、鼻の物質・身体的な話題に絞って語られるのですが、その論は途方もない広がりをもって芥川の内面に迫ってゆくことになるのです。
∋ なぜ異形の鼻は、「細長い腸詰め」にたとえられたのか。芥川にとって、この比喩こそ“文学の生命”というのです。一つの逸話が次の逸話を呼び、さらに新たな逸話へとつながってゆきます。研究の題材=テキストをもとに、知の探究に足を踏み入れ、読者を謎解きのような知的冒険に伴ってくれます。明治期に既に、鼻に言及した膨大な文献がありました。なぜ主人公の鼻は腸詰めのようだったのか。この新たな問題意識が「新たな知的地平を切り拓く」のです。比喩はその意味で、謎の源泉でもありました。
∋ この欄でも何度か紹介したDVD文学アルバム「故郷を見よ」取材制作の過程で、静岡県藤枝市在住の小説家・小川国夫さんに話をうかがう機会を得ました。キリスト教との関係で芥川に話題が及ぶことがありました。小川邸の裏には、地域ではよく知られる長楽寺があります。本書の著者が京の長楽寺に言及する中で、明治34年刊の「志田温泉誌」の「付近名所古蹟案内」中、「青龍山長楽寺」というテキストの存在を発掘しています。なじみの地名を発見して、「鼻」をめぐる知の旅に付き合えた気分です。
∋ 田端行も、この“文化誌”に刺激されたからです。記念館界隈には、所要一時間ほどのモデルルートが設定されています。大正3年に芥川が移り住んだことが、文士村形成の上で転機になったといいます。彼の時代をしのびながら、わずかな時間、旧居付近を探しました。慣れぬ町の坂道を、寒さに首をすくめつつ歩きました。都会の住宅地を裂いてゆくようなひどい強風は、ゆきずりの旅人の鼻をいじめているように感じたものでした。
(鮟鱇)