∋ 都会のひどい照り返しに、湿った空気が淀んでいます。いらつくと、疲労感が増幅します。駅前でだれかれとなく配られていた派手な色彩の団扇をあおいでも、頬をなでる風は生暖かく、追いやったはずの不快さを呼び戻すばかりです。平日の白昼にもイルミネーションを点灯している店、天井から無数の正札を吊るした電器店、女性の写真を掲げるゲームソフト店などの脇を汗を拭いながら歩く。途中、耐えきれず店頭の冷房にあたろうとします。自意識が過ぎるのか、店員の視線が気になります。客でもないのに、図々しい……。
∋ 「そこ」へ至るまでに、JR秋葉原駅周辺を30分余歩きました。街頭に立つ呼び込みの若者や通行人に尋ねることはしませんでした。皺くちゃになった新聞紙面の切り抜きを手に、不得要領のまま徘徊することで街の空気を体感できると思いました。目的地がはっきりしているから粘つく暑さが減ずるわけでもない、と自らを納得させます。
∋ 3メートルほどもあるでしょうか、交差点の角に横長の祭壇がしつらえられています。白いビニールが敷かれ、犠牲者を悼む文章が地元の区によって掲げられています。交差点側の端には千羽鶴が吊るされ、手向けられた缶飲料が2缶、残されています。しばらく留まりましたが、立ち止まる通行人は見当たりません。信号待ちの群衆がそれぞれ、背を並べています。
∋ 中央通りは、想像していたよりはるかに広い街路で、車の往来が絶えることはありません。神田明神通りと交わる地点。最前列にいると、背中に緊張の汗がしとどになるのを感じます。事件の記憶が、浮遊している恐怖を呼び寄せてしまうのでしょうか。惨劇はここで起きたのです。男はあの日、背後からも襲撃したのでした。日曜で歩行者天国になっていたメーンストリートを、トラックで突っ切って通行人をはね、車をとめて降りてくると、ナイフで次々と刺してゆきました。無差別の殺傷にもとより自制などなく、だれもが被害者になる可能性があったのでした。
∋ 中央通りから死角になっている小路に停車しているパトカーを、何度か目撃しました。この雑踏に凶器がまぎれ込んでいれば--。時間の経過とともに、耐え難い日差しが露出した腕に突き刺さってきます。あちこちのビルから、昼食を求める人波が流れ出てきます。繁華な都会の、ごくありきたりの風景でしょう。それが一瞬のうちにかき乱され、阿鼻叫喚の図になるかもしれないのです。
∋ 帰社して、静岡新聞の夕刊を開きます。警察庁が、東京・秋葉原の無差別殺傷事件をきっかけに、ダガーナイフなど両刃の刃物を、所持を禁ずる「刀剣類」に含める方針を決めたというニュースが1面のトップ記事になっていました。殺傷能力は高いものの所持は禁止されていなかったのでした。犠牲の上に成り立つ銃刀法の改正です。
∋ 駅の雑踏で、キャリングケースを運ぶ姿をしばしば見かけます。別に旅行の風情でもないのに、これも一種の流行なのでしょうか。混雑の中で、油断すると足をとられたりします。いや、気をつけているつもりでしたが、発車時刻の電光表示を見上げて歩いていて、つまずいてしまいました。こちらに過失があるとも思いませんが、所有者からすごい形相でにらまれました。もしナイフをひそませていたら、などと妄想を膨らませてしまいます。殺意の遍在を疑わせる事件が続発する、この炎暑です。
(鮟鱇)