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Webコラム一灯

 橋田信介さんの遺品

2008/07/25

   熱帯夜、寝付けないまま時間が過ぎてゆきます。零時半過ぎから、携帯電話のニュースメールに何本もの速報記事が入電してきます。「岩手県で震度6強の地震発生」の報です。マナーモードにした端末がブルブルと震える度に中身をチェックします。明け方、随分早い時間からクマゼミが鳴いているのだと気付きました。梅雨が明け、連日の猛暑。真夏の日常を寝不足のまま迎えます。

   島田市で数日開催の「咲かせよう 平和の願い~戦場ジャーナリスト・橋田信介が見た世界」展に出かけました。イラク戦争を取材中の2004年、武装勢力の銃撃で死亡した橋田さんが撮影した写真には、不思議なほど穏やかな日常がすくい取られています。被写体は兵士、市民、それも屈託ない子どもたちです。ベトナム、アフガニスタン、ボスニア、イラク…。血が流れ、家族が引き裂かれ、国土は破壊し尽くされました。その戦地での奇妙なのどけさ。

   橋田さんは当時、サマワに駐留していた陸上自衛隊を取材しバグダッドに戻る途中で、甥の小川功太郎さんとともに襲撃を受け殺害されました。戦地の状況を伝える危険な仕事の中で、目を負傷した少年マハモド君の治療など、子どもたちの医療環境の整備に心を砕いていました。「フリーランスに定年はない」という彼が亡くなったのは61歳。「なけなしの老後のたくわえ」をはたいてバグダッド突入を敢行したのでした。戦場ジャーナリストとして幾多の修羅場をくぐり抜けてきた橋田さんは、砲弾の応酬が続くその時よりイラク軍が敗北する瞬間、敗北した直後が危ないと承知していました。

   展示会場では、写真と併せ橋田さんの遺品にひきつけられました。愛用のカメラは無残にひしゃげ、銀色のボディーは凹凸だらけです。開かれたパスポートの丸や三角形の査証スタンプは数知れず、旅の履歴を物語ります。白板に書かれた取材スケジュール表には、「原稿締め切り」「バンコク-アンマン、夜出発」「アンマン-ファルージャ」などの都市名が見えます。「遺帽」の写真があります。逆光で撮られている小さな穴が、光の通り道になっています。弾が貫通した跡でしょうか。写真の下に帽子の実物が置かれています。薄い草色の生地から血痕は拭き取られてはいますが、布が小さくめくれた穴は、確かにあります。

   橋田さんの何冊かの著作の中から、「イラクの中心で、バカとさけぶ」のページを繰りました。空爆下の取材日記には、拘束の可能性に知恵の限りを尽くす入国、バグダッド陥落に至る経緯、サダム・フセイン像がなぎ倒される“イラク戦争の一番長い日”などが同時進行のドキュメントで綴られます。彼はしかし、常に冷静で、むしろ飄々としているようにさえみえます。「戦場のにおい」を追うジャーナリストは、「果たしてこの戦争が命を捨てるのに意味があるかどうか」自問しています。「怖いけど撮るために来た」彼は、インシャラー(神の思し召しのまま)の心境のようなのです。

   会場にちょうど、小学生の一団がやって来ました。子どもたちは、「ハシやん」の活動をどのように受けとめたでしょうか。著書「イラクの中心-」は、血と硝煙の中から生まれた警句で埋められています。「悲惨で怖い戦場に反対することはたやすい。問題は『戦争』に反対することなのだ。それはすぐれて政治を語ることに尽きる」、「日本にも見えない戦場がある。死者の数からすればイラクよりはるかに悲惨な戦場なのだ」と説いています。身構えることなく淡々と過ぎてゆく日常を保証するのが政治の役割です。安穏な暮らしが失われてゆく荒廃の気配が、平時の日本に漂っています。猛暑のクマゼミの声は、警鐘を鳴らしているのでしょうか。

(鮟鱇)




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