
霊峰・富士―。日本のシンボルでもある富士山は、古代から日本人の信仰や文化に多くの影響を与えてきました。そんな富士山を世界共有の財産にしようと、「世界文化遺産」登録に向けた活動が活発化しています。
今回のレポートは、修験者の富士登山道として明治時代まで使われ、今では廃れてしまった「旧村山口登山道」を取り上げます。富士登山の歴史を知る手立てになればと、調査・研究を経て昨年、100年ぶりに復活しました。1世紀の時を超えて再び、この登山道が見直されつつあります。

現在の富士登山ルートは、静岡県側の富士宮口、御殿場口、須走口、山梨県側の吉田口、河口湖口の5つがありますが、江戸時代には大宮(村山)、須山、須走、吉田の4ルートが知られていました。現在の富士宮口、富士山スカイラインが開通したのは昭和45年。そのもととなった大宮新道ができたのが明治39年です。それ以前は、富士宮市の村山地区を通る村山口が使われていました。(下図参照)平安時代から栄えたこのルートは、修験者が修行で登る道でした。車社会の今、富士登山は新5合目まで車で行き、そこから登り始めるのが当たり前となりましたが、その昔は富士市の田子の浦海岸(海抜0メートル)から村山地区を通って登るのが一般的で、登山者は道中にある村山浅間神社でお参りをしたり、水垢離(みずごり)をしたりしながら頂上を目指したのでした。

富士山信仰の重要な拠点でもあった村山地区。しかし、明治初期の廃仏毀釈により修験者が激減、さらに村外れに新道ができたこともあり、村山口は登山者も足を踏み入れず、また台風による倒木などで、すっかり荒れ果ててしまいました。
富士登山の歴史を知る貴重な旧村山口登山道。先人が残してくれた大事な「遺産」を後世に伝えようと、村山地区の住民が立ち上がりました。3年前から古道の修復を手がけているのは、富士山村山口登山道保存会です。「旧登山道を歩いてみると神聖な気持ちになる。先人の思いがひしひしと体に伝わってくる」と話すのは、保存会会長を務める神戸勝さん。地元の人たちを中心に、石畳づくりに取り組んでいます。
その昔、雨水で道が流されやすいところに自然の石が敷かれていたのに倣い、同じように石を敷き直しています。石は大沢崩れの石を使用、これまでに約100メートルが修復されました。よく見ると、それぞれの石に人の名前が書かれています。協賛金を募り、趣旨に賛同してくれた人の名前を石に書いてもらっているといいます。神戸さんは「孫の代まで続けてほしい」と古道の完全復活を夢見ています。今秋には、地元の中学生とともに修復作業を行う計画です。周辺にはほぼ当時のまま残されている「山辻の石畳」などもあり、コケむした石畳が“古道”と呼ぶにふさわしい雰囲気を醸し出しています。
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100年間見捨てられていた古道を、再び登山者が歩ける道に―。富士山の自然環境保護活動に取り組んでいる「NPO富士山クラブ」は、地元の人たちとともに、倒木などでふさがれた中わずかな踏み跡をたどり、再び開通へつなげようと活動しています。「富士山完登プロジェクト」を企画し、2年目となる今年は、3回に分けて海抜0メートルから山頂を目指しました(5月…田子の浦―村山浅間神社、6月…村山浅間神社―2合目の西臼塚駐車場、7月…西臼塚駐車場付近―頂上)。最終日の7月17日、小雨の中、約30人の参加者に交じり、古道を歩きました。
午前10時ごろ、西臼塚駐車場付近(標高1350メートル)を出発。クラブ会員の畠堀操八さん先導のもと、一歩、足を踏み入れるとそこは薄暗い森の中…。足元にはササが生い茂り、台風の影響か、あちらこちらに大木が横たわる倒木地帯に突入。辺り一面、霧がかかり、まさに現代から古代へタイムワープしたような錯覚を覚えました。1時間ほど登ると、再びスカイラインにぶつかります(標高1600メートル)。さらに歩を進めると、かろうじて踏み跡は残されているものの、行く手を阻むような倒木の森が出現。くぐったりまたいだりと、ちょっとした探検気分を味わうことができました。途中には昔の休憩小屋や笹垢離場の跡も。標高1820メートル付近には4基の石造物がたたずんでいました。頭がない地蔵や、首のところで切られた跡のある不動明王像など、廃仏毀釈運動で壊されたと思われる石造物です。昔の登山者たちは道中の安全をこれらの像に祈ったのでしょうか。標高2000メートルを過ぎると、急な坂に。しかし、道は比較的はっきりしていました。午後3時半すぎ、旧村山口登山道の4合目、現在の新5合目付近にあたる宝永遊歩道(標高約2400メートル)とぶつかり、同行取材を終えました。
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同行取材は時折強く降る雨に打たれながらの約6時間の登山でした。先人がどんな思いでこの道を踏みしめ、山頂を目指したのか思いをはせると、とてつもない感動を覚えることができました。
ガイド役の畠堀さんは「今後は特に植物と遺跡の保護策を考えていきたい。登山者にも自然環境を守ることを気に留めながら楽しんでほしい」と話していました。参加者も「感無量。昔の人はよくこんな道を切り開いたなと思う。やはりこの道は残してほしい」などと感慨深げでした。古道を通る人が増えれば、古代から「神の山」としてあがめられ、人々の精神に多大な影響を与えてきた富士山の文化的価値にもさらに理解が深まると感じました。
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