広重の東海道五十三次「岡部」には、木の乏しい宇津の谷の景色が描かれている。オランダ人ケッペルの記録では、街道沿いは木々や草までが驚くほどよく収奪されていたようだ。これも日本の原風景のひとつだ。この絵に登場する5人の内4人までが薪(まき)を運んでいるのは偶然ではない。多くの人が滞在する宿場では燃料は欠かせない。相当な量の薪が近隣の里山から運び込まれていたに違いない。
そのために東海道沿いの山のほとんどは薪炭林であっただろう。遠くの山里でも、宿場の需要に応えて、運搬が容易な炭を焼いていた。切られても切り株から芽吹き、株立ちした木に育つ再生力や生産力の強い木が残った。それはコナラやクヌギといった落葉樹で、大量の枯れ葉は集められ田畑の肥料になった。木漏れ日の差す明るい林にはカタクリやリンドウなどの美しい草花が咲いて、チョウなどの昆虫を集め、それを食べる小鳥など豊かな生態系が展開していた。里山の恵みに依存しない暮らしになるにつれ、次第にうっそうとした常緑樹林へと変わり、紅葉などの彩り豊かな風景が失われていく。
(富士常葉大学教授)
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▼山田辰美(やまだ・たつみ)氏 1952年、藤枝市生まれ。NPO里の楽校理事長、富士学会監事などを務める。川や里山などの生態研究や環境教育の最前線に立つ。
山田辰美氏が生活の中で自然と触れ合うヒントを連載したコラム「山田辰美の自然だいすき」は静岡新聞の金曜
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