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おとな派 読み物

【寄稿・わが至福のとき】「雪の上高地散策」

2007/03/22

(写真1)大正池に姿を映す穂高連峰


河童橋の上に人影はなく、その背後には白き峻険な穂高の峰が扇を広げたように聳えている。雪を踏みしめて橋の上に立つと、梓川を吹き抜ける冷たい風が頬を刺した。しかし、河童橋と眼前に広がる屈指の山岳景観を独り占めにしているという興奮が冷たさを忘れさせた。振り返ると流れの向こうには噴煙のように雪雲がまとわりついた焼岳が光っている。聞こえるのは梓川の流れの音だけ。河童橋を渡る人の行列が続く夏の喧騒が嘘のようだった。

 わが国のアルピニズム発祥の地といわれ、穂高岳や槍ヶ岳の登山口である上高地には登山者として、また観光客として何度も訪れている。いつ来ても素晴らしい自然を感じさせてくれる山岳景勝地の上高地だが、登山者が独占した時代はとうの昔に終わり、今や年間200万人もの観光客が訪れるという。シーズン中の河童橋周辺はまさに銀座並みの人込みとなる。静かな上高地を体感しようと3月中旬、山の仲間と訪れた。



(写真2)新しい釜トンネルの上高地側出口

(写真3)大正池を前に焼岳

 この時期、上高地入り口の釜トンネルから先、冬季閉鎖で車は通行できない。歩いて入る登山者だけの世界となる。

 釜トンネルについて元信濃毎日新聞記者の菊地俊朗さんは著書「釜トンネル 上高地の昭和史」(信濃毎日新聞発行)の中で「釜トンネルは『上高地の衛兵』である。あの狭い、急勾配の一方通行トンネルが、押し寄せる人と車の大軍に立ちはだかり、八十年近く、上高地を俗塵から守ってきた。もし、釜トンネルがあの形、厳しさでなかったら、今の上高地の姿は保障されていただろうか」と記している。

その釜トンネルは2005年の新釜トンネル開通で役目を終えた。2車線の新トンネルは大型観光バスもすれ違いができ、両側に歩道もある。岩盤がむき出しだった旧トンネル内は冬季、しみ出した水が氷柱となって垂れ下がり、路面はツルツルに凍って歩行者の通行も拒むようだったという。それが今は乾いた歩道を何の支障もなく歩くことができる。長さ1310メートル。20分ほどで上高地側に出た。新トンネルのありがたさを思ったが、一方で楽に通れるようになったことでの弊害も思わずにはいられなかった。







(写真4)穂高の峰に向かって雪道を快適に進む

(写真5)斜面を転がる雪の球

 

 河童橋に向かう道路に積もった雪は程よく締まり、スノーシューやアイゼンをつけなくても快調に歩ける。大正池では真っ白な穂高連峰が湖面に映え、息を飲む景観を見せてくれた。カメラのシャッターを何枚も押す。ファインダーを覗きながら雲ひとつない穂高の峰に「少し雲が出てくれればアクセントがつくのだが」と贅沢なことを考える。3、4日前の天気予報ではこの日は雨。穂高の眺望はあきらめていた。それが幸運にも晴れに恵まれた。晴れれば晴れたでさらにいい光景を、と欲張る。勝手なものだ。
 風は冷たくても雪原に降り注ぐ日差しは春だった。斜面を雪が小さな球になって転がり落ちてくる。耳を澄ますと「サラサラサラ」っと転がる音が聞こえるようだ。斜面には雪球が転がった筋が何本も刻まれ、柔らかな陰影を見せていた。
 河童橋のたもとでは穂高の峰と青空を背景に柳が白い毛の花穂を輝かせていた。まさに「猫柳 高嶺は雪を あらたにす」(誓子)の光景だった。
 大正池まで戻って振り返ると穂高の峰に雲のアクセントがついていた。しかし、風が出て波立つ湖面に逆さ穂高の姿はなかった。

(O.K=静岡市在住)


(写真6)夏の人込みが嘘のような静かな河童橋

(写真7)河童橋のたもとの柳は白い毛の花穂を
見せ春の訪れを告げていた
(写真8)河童橋の向こうに迫る穂高連峰











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