 |
| (写真1)白いオオミスミソウとカタクリ |
山野の花に心騒ぐ季節が今年もまたやってきた。「今冬は暖冬だったから半月早くセツブンソウが咲いた」「雪が少なかったから新潟のオオミスミソウ(雪割草)も早そうだ」などと情報が入ると落ち着かなくなる。インターネットで調べ、現地に電話してさらに詳しい情報を集める。花の見ごろと自分のスケジュールを突き合わせ、それに長期天気予報をにらんで予定を組む。心踊るときだ。たかが山の花を見に行くだけなのに、なぜそんなにワクワクするのか。いい年をして恋人にでも会いに行くような気持ちになぜなるのか。自分でもよく分からない。
 |
|
(写真2)青のオオミスミソウ |
 |
|
(写真3)シベがきれいな白のオオミスミソウ |
若い頃の山登りといえば山頂を極めることが一番の喜びであった。まさにピークハントの登山だ。それが年とともに登山道脇の草花に目が向くようになり、次第に花を愛で、写真に収めるのが山登りの楽しみとなった。体力に物を言わせての登山から、癒しを求めてのゆったり登山に変わってきたのだ。年をとった証拠であり、自然の成り行きなのだろう。
作家の田中澄江さんは著書「新・花の百名山」の中で「ひとは年を重ねて、世に生きる悩みや憂いを溜めてゆく。それをやさしく吸いとってくれるのは、どんな身内や知友にもまして、物言わぬ花であったと思われてならぬ」と記している。花にそこまでを求めているわけではないが、山野の花を見ると嬉しくなる。嬉しくなるということは心に安らぎを与えてくれる、ということなのだろう。少女趣味ではないが厳しい自然条件の中で精一杯に見せる小さな花の姿に、思いを重ねる何かがあるのだろう。
スプリング・エフェメラルと呼ばれる花には特にそんな思いが強い。オオミスミソウ、カタクリ、キクザキイチゲ、セツブンソウなど雪解け直後の里山を彩る可憐な花だ。中でもオオミスミソウは十数年前に佐渡島のドンデン山で初めて出会って以来、心に残る花となった。そのオオミスミソウを見に昨年に続いて3月下旬、新潟に車を走らせた。
訪れたのは花の山として知られる角田山、樋曽山、弥彦山。最も高い弥彦山でも標高634メートルという新潟平野の日本海沿いにある低山だ。日本海から吹き付ける風雪が収まり、雪が消えるのに合わせてスプリング・エフェメラルが真っ先に春の訪れを告げる。どの山も花と地元の人たちが遠来の客を歓迎してくれた。
 |
| (写真4)オオミスミソウの群落とつぼみのカタクリ |
 |
|
(写真5)カタクリ、キクザキイチゲ、オオミスミソウが 競演する斜面 |
樋曽山では巡回していた自然監視員に思わず声を掛けた。
「素晴らしい花を見せてくれ、ありがとう」
「人が来てくれるのは嬉しいけど、それにつれて花が年々減っている。人工で栽培したオオミスミソウを山に戻しているが、増えるまでにはとてもならなくてね。わざわざ静岡からですか。それではせっかく来たのだから弥彦山にも是非行ってみてください」
自然監視員が教えてくれた山道を登ると、今度は地元の登山者が「ここもいいがあそこも今が見ごろだよ」と声を掛けてくれた。どこも花の宝石箱をひっくり返したように色とりどりの花が枯れ葉の斜面を飾っている。オオミスミソウは白、青、ピンク、紫と花の色が多彩だ。花の色は同じでもシベの色が微妙に違う株がある。赤紫のカタクリ、白や青のキクザキイチゲもオオミスミソウに負けまいと輝いていた。
山の斜面から目を上げればマンサクやキブシ、ヤマザクラが咲き出したばかりの花を枝に揺れていた。
地元の人たちの親切にも触れて満足の山歩きだったが、せっかくの遠出に、もし目指す花に振られてしまったら癒されるどころか、かえって不満とストレスがたまったのかもしれない。それも困ったものだ。相手は自然。いつも必ず満足させてくれるとは限らない。山を歩けただけでもよしとする心のゆとりを持ちたい。
(O.K=静岡市在住)