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| (写真1)越前岳登山道からの秀麗な富士山 |
師走の声を聞くと普段、大して忙しい身ではないのに一人前に何となく気ぜわしくなる。年賀状書き、窓拭き、墓参りなど、あれもこれもと予定を頭に描いているうちに「2007年の締めくくり登山はどこにしようか」といつの間にか思いは山に向かう。「師走にまで山に行かなくてもいいのに」という声がどこからか聞こえてこないわけではないが、「何事も1年の締めくくりは大切だ」などと理屈をつけて毎年出かける。山の仲間の計画に乗って12月中旬、愛鷹連峰の最高峰・越前岳(1504メートル)から呼子岳(1313メートル)を歩いた。
富士山の南麓に愛鷹山(1187メートル)など9つのピークを連ねる愛鷹連峰は、秀麗にそびえる富士山とは対照的に荒々しさを備えた険阻な山並みを見せる。西の富士市側からは八ヶ岳を小さくしたような山容にも見え、南の沼津市側からは富士山を守るかのように前衛の山として立ちはだかる。
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(写真2)霜で真っ白な十里木登山口から越前岳に 向かう
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(写真3)霜に飾られた落ち葉
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富士山と愛鷹連峰は生い立ちから縁が深い。数十万年前までは富士山も愛鷹山も高さが2500メートルほどの火山だったが、富士山より早く火山活動が終息した愛鷹山は浸食による崩壊が進み、その後も噴火活動が続いた富士山はさらに高くなって現在のような対照的な姿になったといわれる。
富士山と愛鷹山にまつわる民話や伝説も面白い。「中国にあった愛鷹山が富士山と背比べをしようと海を渡ってきて富士山と並んだ。『私と背比べをしようなんて生意気だ』と怒った富士山(または足柄明神)が愛鷹山の頂上を蹴飛ばして崩してしまったため、愛鷹山はどこが頂上か分からない姿になった」などという伝説が地元に伝わる。
仲間とそんな話をしながら十里木から越前岳への登山口を出発した。霜柱を踏みしめての登りに白く息がはずむ。まさに「富士山を背負って」の登りで、振り向けば広大な裾野をゆったりと広げた優雅な姿が間近に迫る。八面玲瓏な山嶺の中に大きく口を開けた宝永火口が痛々しい。宝永の噴火はちょうど300年前の12月16日に始まったという。わずか300年前に目の前の宝永火口から真っ赤なマグマが噴出し、噴煙を吹き上げていたことを思うと美しい富士山もちょっぴり恐ろしい山に見える。
越前岳山頂は登山者で大にぎわいだった。新潟から富士山を見に訪れたという中高年のグループは「素晴らしい富士山を見せてもらった」と興奮した様子でその感激を口々に話していた。静岡に住む者でさえ、いつ見ても富士山には心を躍らされるものがあるのだから、普段見ることのできない人の感動はいかばかりだったか。静岡に住む幸せをあらためて思わずにはいられなかった。
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| (写真4)越前岳登山道からの南アルプス |
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(写真5)登山者で大賑わいの越前岳山頂
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登山者の賑わいはここまでだった。急降下して呼子岳に続く細い尾根道は行き交う登山者も少なく静かな山歩きを楽しめる。20年ほど前に同じコースを歩いたときにはアシタカツツジが山道を飾っていたことを思い起こした。
呼子岳を過ぎると間もなく割石峠に着く。愛鷹連峰の縦走路はここから蓬莱山、鋸岳、位牌岳と続く。縦走したいのは山々なのだが風化による崩落が進み、危険が大きいという。蓬莱山から鋸岳への尾根道に立ち入り禁止の警告看板が立っている。看板を過ぎて切り立った尾根筋を覗いてみた。カミソリの刃のように両側が鋭く落ち込んだ尾根にいくつもの小さな岩峰が連なり、所々にクサリやロープが取り付けられているのが見える。危険を冒しての山登りは目的とするところではない。
割石峠に戻り、小さなケルンに導かれて大沢口への下山路を辿った。ブナの林はすっかり葉を落とし、冬山のたたずまいを見せていた。落ち葉を踏みしめながら富士山の大展望に恵まれた2007年の締めくくり登山に満足するとともに、2008年の山歩きに思いを馳せていた。
(O.K=静岡市在住)
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| (写真6)呼子岳への尾根から見た位牌岳(左)に続く鋸岳の岩峰 |
(写真7)呼子岳への快適な尾根歩き |
(写真8)鋸岳へ立ち入らないよう呼びかける警告看板。向こうは越前岳 |
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| (写真9)蓬莱山からの位牌岳(右)に続く鋸岳の岩峰 |
(写真10)鋸岳への鎖場 |
(写真11)小さなケルンに導かれて大沢を下る |