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| (写真1)千枚小屋から望む日の出 |
静岡・長野・山梨の3県にまたがる南アルプスは、その懐の深さと大きくどっしりとした山容が山好きを魅了してやまない。北の鋸岳(2685メートル)から南の光岳(2591メートル)にかけての主脈は重量感のある山岳風景を見せ、高山植物の美しさも北アルプスなどに比べ決して引けをとらない。山小屋やアクセス・登山ルートの整備は北アルプスに比べまだ十分とはいえないが、それだけに入山者も少なく、静かな山歩きを楽しめるのも魅力となっている。
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(写真2)聖岳山頂でポーズをとる筆者(1960年7月)
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(写真3)赤石岳山頂からの富士山。下に光るのは 赤石小屋
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その南アルプスに初めて足を踏み入れたのは高校1年だった48年前の1960年夏のことだ。山好きの伯父と伯父の友人に連れられて3人の山行だった。山梨県早川町の新倉から登り始め、転付峠―二軒小屋(泊)―マンノー沢の頭―千枚岳―荒川三山―荒川小屋(泊)―大聖寺平―赤石岳―百間平―百間洞山の家(泊)―中盛丸山―兎岳―聖岳―聖平―東海パルプ小屋(泊)―中の宿―沼平を経て井川に下山した。
山中で4泊、身延と井川での泊まりを含め6泊7日の山旅はまずまずの天気に恵まれ、初めて見る雄大な山岳景観に感動したことを覚えている。重いキスリングに5日分の食糧や燃料を詰めて無事歩き通したことで体力的にも自信をつけた。その時の写真を見ると靴はトレッキングシューズの原点といわれるキャラバンシューズを履いているものの、学生服のズボンに学帽といういでたちだ。登山服まではとても揃えられなかったのだろう。赤石岳や聖岳山頂ではその格好にタオルを首に巻いて得意気に写真に納まっている。
この山行が山好きの原点となり、途中かなりの期間の中断はあったものの現在に続いている。伯父が「南アルプスに私を連れて行く」と両親に話した時、両親は心配して反対したが、私が「行きたい」と頼み込んで、しぶしぶ許してくれたのを覚えている。無事帰って来るまで母は毎日あまり眠れなかった、と後で聞いた。伯父も山登りは始めたばかりで、今思えば無謀だったという気もする。しかし、その時の伯父の誘いと両親の許しがなければ山好きの私はなかっただろうと思うと、伯父や両親に本当に感謝している。
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| (写真4)朝日に輝く赤石岳(左)と小赤石岳 |
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(写真5)赤石岳山頂。右奥は荒川三山
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あれから41年後の2001年9月、南アルプス南部の盟主・赤石岳(3120メートル)と荒川三山を再び訪れた。荒川三山は前岳(3068メートル)、中岳(3083メートル)、東岳(3141メートル)から成り、東岳は特に悪沢岳と呼ばれる。深田久弥は悪沢岳という呼び名がいたく気に入ったようで著書「日本百名山」の中で「私たち古い登山者にとっては、どうしても悪沢岳であらねばならぬ。(中略)東岳という平凡な名で呼ばずに悪沢岳と呼んでいただきたい」と強く訴えている。
再訪のコースは大井川上流の椹島を基点に大倉尾根をたどり赤石小屋に1泊。翌日、赤石岳に登って荒川小屋まで下り、荒川三山、千枚岳(2880メートル)を経て2泊目の千枚小屋に。3日目に椹島に戻る南アルプスでは最も人気のあるコースの一つだ。周回コースのため千枚岳から荒川三山、赤石岳と逆周りを楽しむ登山者も多い。赤石岳から千枚岳までは41年前に歩いた道を逆にたどった。
昔の記憶を呼び起こしながらたどる中で、赤石岳山頂から展望した、山並みの向こうに浮かぶ富士山の墨絵のような光景は、かすかに記憶に残るそれに重なるものだった。大聖寺平では大きなケルンを前にして「そういえばここで朝食のパンをかじったな」とその時の情景が目に浮かんだ。悪沢岳から千枚岳への特徴のある岩場では、高山蝶に注意をとられていた私に「気をつけろよ」と大声で注意した伯父の声が鮮明によみがえった。
その伯父は既に他界した。山歩きの楽しさ、素晴らしさを教えてくれた伯父にあらためて感謝しながら椹島に下った。
(O.K=静岡市在住)
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| (写真6)小赤石岳からの赤石岳 |
(写真7)荒川前岳から望む荒川中岳(左)と悪沢岳(荒川東岳) |
(写真8)荒川中岳から悪沢岳(荒川東岳)に向かう |
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| (写真9)悪沢岳(荒川東岳)山頂 |
(写真10)悪沢岳(荒川東岳)から 千枚岳に向かう |
(写真11)登山基地の椹島 |