「点の記」とは三角点を設定した際の作業記録で、一等から三等三角点までの設置記録が残された。標石が埋設できず四等三角点となった剱岳については記録がまったく残されていないという。新田次郎は出版社の協力で丹念に資料を集め、関係者に会い、現地を訪れて山頂も踏み、「剱岳 点の記」を書き上げた。
綿密に計画を練り、冷静に行動する柴崎と、控えめながら豊かな登山経験と確かな技術、並外れた体力・脚力を持つ長次郎の絶妙なコンビ。加えて、手伝いの測夫や案内人、資器材などを運ぶ人夫ら測量隊員への思いやりある柴崎の対応が偉業達成へと導いたといえるのだろう。柴崎は登山隊のリーダーというだけでなくプロジェクトチームのリーダーとしてのあり方を見せるものでもある。
柴崎をリーダーとする測量隊が剱岳に登ってから今年で102年。剱岳には別山尾根、早月尾根の2つの一般登山ルートが拓かれ、多くの登山者が訪れている。しかし、今も人を簡単に寄せ付けない峻険な岩の殿堂であることには変わりない。
私の15年前の立山・剱岳登山は天気に恵まれた。室堂から一ノ越を経て雄山(3003メートル)に登り、尾根を大汝山(3015メートル)から別山(2880メートル)に向かった。別山の正面に全貌を現した兜のような剱岳に圧倒される思いだったのを覚えている。その日は剱沢の剣山荘に泊まり、翌日、別山尾根ルートで山頂を目指した。一服剱、前剱から難所のカニノタテバイをよじ登り、山頂に立った。富士山も遠望できる360度の大展望に息を飲む思いだった。
剱岳山頂には2004年、「剱岳測量100周年記念事業」の一環として国土地理院により柴崎が果たせなかった三等三角点が設置され、標石が埋設された。最新の測量技術により剱岳の標高は1メートル高くなって2999メートルとなった。
「剱岳 点の記」を読み返し、映画の封切りを楽しみにするとともに、剱岳再訪の思いを強くした。
(O.K=静岡市在住)